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「団地管理組合は部分社会である」とする丸山理論の誤り
東京大学名誉教授 西村 肇   2008年10月1日
「民主主義と多数決」の意味の間違った理解
「民主主義と多数決」の意味の間違った理解
 丸山教授の部分社会論を読んでやや奇異に感ずるのは「民主主義」という言葉の頻出です。政治論ではなくて管理組合論の中に突然あらわれるので驚かされる訳です。実際には次のように使われています。「マンション管理組合活動は民主主義の学校といわれている」「管理組合はまさに民主主義の実験場である」つまりこの主張こそが被告を代理して原告を論難する丸山教授の所論の核心となっています。ところが不思議なことに、この大事な「民主主義」という言葉の意味規定を一切おこなっていません。丸山教授にとってそれは自明のことであるためと思われます。その自明の意味が何であるかが示されているのが、「民主主義を理解しようとしない原告」と題する段落です(資料D67ページ)。この13行の段落の主要点を原文のまま引用すると「原告は新年度に立候補した。しかし28対109の大差で(中略)対立候補に敗れた」「通常総会では理事会が提案した議案はすべて承認された」「新年度理事会では(中略)出席理事11名中11名の賛成で被告山森が理事長にまた被告宮崎が副理事長に再任された」です。
 これを読むと丸山教授が民主主義という言葉で具体的に意味しているのは「多数決」だということがわかります。短い文中に「28対109の大差」とか「11名中11名の賛成で」とかいう大げさな表現を得々と使っていることから見ても、「民主主義=多数決」「得票率こそ正当性のバロメータ」という丸山教授の思考が丸見えです。
 「民主主義=多数決」は小中学校のホームルームで習う考え方ですし、民主主義に対する一般人の常識的理解であるに間違いありません。しかし、それが常識であるからこそ少しものを考える人々の間ではこれについて必要な批判的態度を保持するのが常識です。単に支持得票率の圧倒的高さだけが正当性の保証というならば、スターリン時代のソ連の共産党候補者はいずれも98%を越える得票を得ていました。これには投票の強制、投票の監視など警察国家特有の得票誘導があったことは確かですが、それがなくても80%以上の得票率が得られたことは確かです。真の批判票は数パーセントを超えなかったと思われます。一般の人々は恐怖政治の実態をまったく知る由がなかったからです。しかしソルジェニツインの「収容所列島」の地下出版によってその真実が次第に人々の心の間に浸透した時、ソルジェニツインが正確に予言したようにソ連は崩壊しました。
 少しものを考える人ならこれを含めて民主主義=多数決という常識には十分な警戒と保留をするのが常識なのに法科大学院教授である丸山教授がこのような議論を憶面もなく展開されるのは信じられない気持ちです。 
 民主主義とは何かと問われたら私なら「それは日本国憲法なかんづくそこに規定されている基本的人権を実現するための(立憲)民主主義である」と答えます。したがって「多数決が民主主義」とは答えません。そういう考えは憲法の中にはないからです。
 たしかに意見の違いがある中で集団全体の決定を下すための「便法=手段」としての多数決はあります。「昼の弁当」「旅以降の行先」にはじまり「国旗の制定」まで集団の結滞には誰もが納得する方法として多数決が便利に使われます。それはそれでよいのですが、それだからといってあらゆる問題に同じような気持ちで多数決を用いるのは間違いです。明らかに多数決で決定してよい問題と多数決にしてはならない問題があります。多数決で決定する場合も投票結果だけがすべてではありません。関係者が意見の違いの意味を十分にわかった上での賛成反対の意思表示でなければ意味がないのですから、提案者は提案に関連する情報を完全に公開する必要があり、それについての批判意見が自由に発表できることを保証する必要があり、さらに問題の理解を容易にするための公開討論会の開催が必須です。
 以上は私が東京アセスメント条例立案の過程で住民投票が有効であるための手続き過程を詳しく検討する中で自信をもって都民に説明した内容を要約したものです。一言で言えば「多数決の結果の票数が民主主義なのではなく、成員が問題を十分に理解した上で投票による意思表示ができるような手続きこそが民主主義」というということです。住民の自発判断にもとづく投票を促すため、東京都アセスメント条例案では原案に「賛成か反対」の意思表示を求めず、原案にかわる代替案を示し「原案か代替案か」の意思表示を求めるように決めています。
 以上は多数決による決定の一般論ですが、共有財産の変更処分にかかわる決定を多数決で行なうときには別にさらに困難な問題が生じます。環境もまさに共有財産ですので私は環境アセスメント条例草案を作るとき、この困難に正面からぶつかり納得いく答を得るためには大変難渋しました。
 それは環境に影響する事業について住民投票によって実質上の決定を行なおうとする場合、核心となるのは投票の対象となる住民の範囲なのです。環境に関する決定といっても、もっとも問題になるのは、ごみ焼却場などいわゆる迷惑施設の設置です。環境への影響とは言いながらその設置によって迷惑を受ける程度は場所によってまったく違います。したがって影響のない住民が賛成する事業計画案も、直接迷惑を受ける住民に限って賛否を問えば、反対となります。したがって、投票する住民の範囲を操作すればどんな結論でも得ることができます。このジレンマを乗り越えてたとえ反対であっても納得できる結論に持っていくためには、十分な情報開示と公開討論と原案の修正を時間をかけて行なう以外にないというのが私の都民集会でのアセスメントの具体的手続き説明の際の結論です。
 団地管理組合が行なう事業についてもまったく同様のことが言えます。ある地区の棟間の緑地をつぶして全組合員が利用できる駐車場を作るという理事会案なら直接関係する数棟の住民は猛烈に反対しますが、他の数十棟ではほとんどの人は自分に損ではないので理事会案に賛成するでしょう。その結果事業決定に必要な3分の2の賛成は容易に得られます。そして共有地の処分だからという理由で納得のないまま工事は強行され緑地は駐車場に変わるでしょう。でもそれは大変おかしな話です。棟前の緑地は所有区分上は共有地にはなっていてもその棟を買った人はその緑地が気に入り、その緑地を眺める楽しみを含めてその棟を買ったはずです。ところが、その大事な所有財産を何の交渉、補償もなく取り上げてしまう行為を正当化するのが管理組合の規約と多数決です。さらにひどい私有財産権の侵害は10年前たまプラーザ団地で起こりました。共有財産である建物の補修を理由にその必要はまったくないのに、私有財産である屋外給湯器の撤去廃案が命令されました。その根拠は理事会での多数決による決定ということだけです。理事会の方針に反対意見を言うものに対しては、理事会内で「団地を出て行ってもらう」という意見が大声で主張され採択に持ち込まれればそれが通る可能性さえありました。
 私のように民主主義とは基本的人権の尊重と考えるものにとっては、司法権を排除した集団における多数決はまさに本来の民主主義(立憲民主主義)の敵とさえ見えます。もし全体意思決定の手段として多数決を使う場合は、どういう問題に多数決を使っていいのかいけないのか、使う場合にはどれだけの条件をそろえなければならないのかを細かく考察し、限定すべきと思います。そしてこれは団地問題を専門とする法学者がまず第一に取り組むべき問題でしょう。丸山教授はこの方面の専門家と聞いていますが、民主主義と多数決に関する所説を読む限りそのような問題意識は皆無のようです。これでは専門学者としての資格を著しく欠いているといわざるをえません。

結論
 以上、3つの面から丸山教授の「管理組合部分社会論」の間違いを指摘しましたが、論評に値しない暴論であると結論せざるをえません。

hajime@jimnishimura.jp