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「団地管理組合は部分社会である」とする丸山理論の誤り
東京大学名誉教授 西村 肇   2008年10月1日
実態無知から来る立論の誤り
実態無知から来る立論の誤り
 丸山教授が基本的間違いを犯したもう一つの大きな原因は団地管理組合を「司法審査」を完全に拒否できる部分社会に当たるとしたことにあります。ただし、団地管理組合は義務的加入である点で自主的参加の団体と異なります。丸山教授自身この点を気にしていて「管理組合が強制加入である点で自主性に欠けるように見える」(資料D4ページ)と 認めています。つまり丸山教授はここで自主的参加でない団体では構成員に対し、「司法審査」の放棄を強制できないことを認めている訳です。そこで丸山教授は次に団地管理組合は強制参加ではあるがその参加は 自主的であるという至難の命題を証明せざるを得なくなります。丸山教 授はそれをつぎのように行なっています。 「管理組合の管理における自主性については、現実にも総会を開き、理事・監事等を選出し管理・運営している点で明白である」(資料D4ページ)
 ここでは拙劣な言葉のすり替えが行なわれています。前段では自主性とは強制加入に対比する参加の自主性の意味であるのに対し、管理の自主性に置き換えられています。ここに見る丸山教授が「団地管理組合の内部事項は司法審査の対象にならない」とする自己の主張を論証できないことの完全な証明です。
 「部分社会論」という疑問の多い法理に基づいて、団地組合執行部の行為に起因する一切の不当行為(人権侵害、私有財産損逸など)に対して、組合員が裁判に訴える権利を否定しようとする「丸山理論」は教授自身が論証できないことが明らかになりました。今後は組合執行部の決定と行為で不当な扱いを受けたと思う人は、話し合いで埒が明かなければ最後は裁判所に訴えていいのです。それが憲法に明記された裁判を受ける権利なのですから、この点については丸山教授ももはや反対はすまいと思います。
 丸山教授が「部分社会」という概念=イメージを最初に持ち出して主張したかったことは「団地管理組合の管理における自主性」ということと思います。「管理の自主性」という何の変哲もない概念と部分社会論との関係は一見不明ですが、後段の議論を読むとそれかほとんど同一であることがわかります。「管理の自主性」とは丸山教授の高度の弁論術のための布石です。それははじめ人が用意に受け入れる言葉を使いながらたくみに意味をすり替えることで相手がとても受け入れがたい自己の主張を論証、納得させてしまう弁論術です。「管理の自発性」という表現で丸山教授が意味しているのは、「決定過程に個人が自発的に参加して到達した集団の意思(決定)は個人の意思(決定)である」ということです。短く言えば「集団の意思は個人の意思、個人の意思は集団の意思」という典型的ファシズム思想です。そうであれば、個人が集団の措置を不服として裁判所に訴えることは許されないことになります。これが「管理組合は部分社会」という丸山理論の真髄です。
 丸山教授のこの主張が成り立つためには、特定個人の不利益となる決定について十分な説明、説得、討論がなされ、結論は反対であっても納得が得られなければなりません。つまり納得のいく決定過程が必要な訳です。これについて丸山教授は「現実にも総会を開き、理事・監事を選出し、管理・運営している点で明白である」と主張しています。
 少しも明白であるとは思えない丸山教授の主張ですが、議論を進めるために丸山教授の言いたいことを想像するとつぎのようになるでしょう。「組合員は大きな問題については、総会に出席し、発言し、討論し、採択に加わることができる。さらに具体的実際的問題についても理事になって理事会内で討論し決定に参加する道が開かれている。このようにして自発的個人の意思を集団の決定の中に完全に反映させる制度的保障があるので、集団の決定は自発的個人とみなせる。」
 私はこの議論に同意はしませんがあえて反論はしません。「集団の決定は個人の自発的意思」という丸山教授の基本主張を保障する制度になっているか否かの議論において「丸山教授の頭の中だけにある制度を前提にするのは意味がありません。頭の中にある制度は議論の「つじつま」が合うように勝手に作り上げることができ、その結果、議論は当たり前のこと(同義反復)の勝手な言い合いに過ぎないからです。
 大事なことは議論の前提として「現実の制度」を取り上げることです。
 「現実の総会」、「現実の理事会」、「現実の監事」を頭において議論することです。ところが丸山教授の議論のどこにもその姿勢は見られません。やむをえないことかもしれません。丸山教授は無知の一組合員として総会に出席し、勇気を出して発言したものの、無視されたり野次り倒されたりした経験がないからです。正論と抱負をいだいて理事になっても理事長を中心とした派閥にいじめ抜かれ挙句の果て外で理事会批判をしたという理由だけで、つるし上げに合い辞任を迫られたような経験がないからです。そういう経験をした私ははっきり言えます。丸山教授の立論は団地管理組合の実態についてまったく無知であるための空論ではないかと。
本論においては実態についての無知を正すため、管理組合の管理体制の実態を典型的な例で紹介しています。これによって頭の中の管理体制を前提にして問題を議論することの無意味さを誰もが確信できる形で示すためです。これに用いる実例としては私がたまプラーザ団地管理組合で自ら体験した例だけに限っています。議論を厳密に事実としての現実に限り、観念の遊戯に陥るのを避けるためです。ただし丸山教授が被告代理人である事件からの引用は原則としていません。本意見書は原告を助けるために被告代理人丸山英気氏に反論するのが目的ではなく、団地管理組合についての一般理論としての丸山教授の所説「部分社会論」を批判するのが目的だからです。

hajime@jimnishimura.jp