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知的活動の足を引っ張る日本語
原因は日本語にあり
原因は日本語にあり

 では、人問として同じなのに、なぜ日本人が「知的」に障害を受けるのか。それ日本語という言葉のせいではないか。これを最初にはっきりいったのは国粋主義者の北一輝です。二・二六事件の指導者とされ、無実なのに死刑にされた天才的思想家です。その彼が八〇年前、昭和大不況を解決するための提言として書いたのが「日本改造法案大綱」とよぶ憲法草案です。これは絶対天皇制から民主国への移行、華族の廃止、三町歩以上の土地所有禁止、男女平等を明記したもので、新憲法の内容をほとんど全部先取りしたものです。
 そのうち、教育に関しては、教育の目的を「世界的常識を養成し、個々人の心身を充実させ、天賦の才能が花開くようにさせる」とし、そのための基礎として、国語として、エスペラント語を第二国語とすると定めています。
 なぜそう考えたかと言いますと、彼は、アジアを侵略するつもりはありませんでしたが、人口稀薄なオーストラリアとシベリアは日本が解放し、そこにアジア各地からの移民を招いて新天地をつくるつもりでした。そこでの言語として不便不合理な日本語を押しつけることはできないから、日本人がエスペラント語をマスターせよ、というのです。
 その理由として、日本語が言語として根本的弱点があると指摘し、語順の問題を取り上げています。語順として主語の次には動詞、その次には目的語、というのが人問の心理法則に従った自然な表現であり、欧米語も中国語もそうなっているのに、日本語だけが転倒混乱しているというのです。この不合理不便な日本語のために日本人はおおいに苦しんでいる。だから、もし子どもの時からエスペラント語を第二国語として教えれば、自然淘汰の原則によって、五〇年後には国民全部がエスペラント語を第一国語として使用するようになるだろうと述べています。
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