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コトバも自由競争の時代へ
コトバも自由競争の時代へ

 現代英語は話の主題をいかに正確にスピーディーに伝えるか、そこに努力を集中していますが、日本語は誰が誰に何を伝えるか、話の内容を人問関係から切り離せません。英語の議論では Whatユs said (内容) だけが問題なのに、日本語ではWho said (人問関係) への配慮が重要なのです。それでは、白由な議論はむずかしいわけです。
 こう考えた私は三〇年前から、東大の研究室では日本人同士でも討論はすべて英語という方針をとってきました。一度だけ日本人だから日本語でやらせろという要求があったので、譲歩したところ、一カ月後には、英語に戻してくれと頼んできました。理科系の研究者にとって、日本語での発表は何の価値もありません。したがって読むのも書くのも英語だけです。さらには、英語を白由に話し、英語で考えることが、仕事に必須だからです。
 英語は第二公用語ではなく唯一の公用語だからです。これに対し、英語で研究すると日本独白の研究ができなくなるのでは、という反論がすぐ出てきますが、これは当たりません。たとえば私白身はアメリカ式研究に批判的だったので、まったく留学はせずに独白で「プロセス工学」という学問を拓き、本を著わしました。日本語で出したあと英語に翻訳しました。
 その五年後に、マサチューセッツ工科大学からの招待で、初めてアメリカにわたり、翌日にはその講堂で、全教授と大学院学生を集め、「プロセス工学」を教えました。第五五回毎日出版文化賞を受けた『水俣病の科学」は、この研究の延長です。いま英語版を執筆中で、世界が水俣病を知る最初の本になるはずです。このように、オリジナルな研究とは研究姿勢の問題であり、言語に影響されるものではありません。
 国際化の進展は、国内と国外を単純に分けることを困難にします。日本の会社なら社長は日本人で、会議は日本語ということが、すでに成り立たなくなっています。コトバの世界も白由競争、適者生存ですから、目的に応じ英語が日本人のコトバになっていくと思います。でもそれは、幕府の伝達文書からエロ文学まで、武士階級の読むものは、すべて漢文あるいは漢文書き下し文であった明治以前を思えば、はるかに自然でしょう。
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