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ハチは最後に刺す-毎日出版文化賞受賞スピーチ

 ハチは最後に刺す-毎日出版文化賞受賞スピーチ

 このたび私たちの「水俣病の科学」が栄誉ある毎日出版文化賞をいただきました。正直に言いますと、私は賞をいただくことにはあまり関心がなく(笑)、もらわなくても悲しくないし、もらってもどうってことないのですが(笑)、毎日出版文化賞だけはぜひいただきたいと思っていました(笑)。二つ理由があります。一つは一回もらいそこなつているからです(笑)。私がはじめて書きました「裁かれる自動車」という本がそれです。この本は自動車の排ガス規制が可能であることを科学的に証明した本で、この本が出てから一年たって排ガス規制が実現した、という経緯があります。この本がその年の毎日出版文化賞の最有力候補だということは聞いておりました。ところが公表された選考経過を見ますと、最後に異論が出て惜しくも落ちたと書いてあります。異論は何だつたかはすぐ明らかになりました。この本は中公新書ですが、初刷りだけですぐ絶版になりました。これは白動車工業界、なかでも日産白動車が先頭に立っていたことははっきりしていますが、これが出版杜に強い圧力をかけた結果であることは明らかです。この本を私に書くようにすすめた編集者も退社させられております。
 この本を絶版にしたあと、白動車工業会と化学工業会、こちらは住友化学が中心だったのですが、今度は著者を絶版にしよう(笑)としました。私は当時助教授でしたが、私のまったく知らない問に産業界と東大工学部の首脳が相談して、私を関西の小さな大学の助教授に移すことを決め、相手大学の了解も取って、すべての手筈を整えてしまいました。ところが最後に、私を後任に残していった矢木栄名誉教授の所に主任が報告に行ったところ、「なぜ出すんだ」ということになり、主任はこの間の事情を説明したようです。そのすぐあと、私が矢木教授に呼び出されて言われましたことは、「公害の研究はそろそろおしまいにしなさい。皆さんが困っている(笑)。もしやるなら大学を辞めてやりなさい」ということでした。私は研究者ですから、大学で研究をしたかったので、公害の研究はやめて、そのあと一五年、定年まで遺伝子工学の研究に挑戦しました。定年後はどこにも勤めず、もう一度公害の研究を復活し、やっとでき上がったのが今回受賞した「水俣病の科学」というわけです。

 二番目に毎日出版文化賞に意味があると思うのは、これが著者だけでなく出版杜への賞であるからです。著者は自己満足というか、表現意欲のために書く訳ですから、賞なんか。あげなくてもいいと思うんです。むしろ出版杜を表彰することは意味が大きいと思います。私たちのこの「水俣病の科学」も出版はたいへんに困難でした。順々にいいますと、まず朝日新聞にもっていって断られました(笑)。次に岩波書店にもつていつて断られました(笑)さらに選考委員の養老孟司先生が理事長をしていた東京大学出版会にもっていって断られました(笑)。それぞれの理由はこうでした。朝日新聞ではこれは学術書だから新聞杜の出版物にはなじまないという理由で断られました。東京大学出版会では、この本は学術書というよりもっとインパクトの大きい本なので、わが会のカラーになじまないという理由で断られました(笑)。岩波書店では、新書の編集長をしている私の弟子が窓口になったのですが、「こんな本は今は二〇〇〇部も売れませんから、採算を考えると出版をお引き受けできません。わが杜はいま経営が苦しいんです」(笑)ということでした。
 こうして三杜から立てつづけに断られて、もうどうしようもないという状況にあつた時、二社が考えようと言ってくれました。一つは日本評論社で、黒田敏正編集長のお答えは、「この出版はとてもむずかしいですが、たいへん意義があるので、ぜひやらせていただきたいと思います。ただ、すでにお話をしている出版杜さんがあるので、そちらがお断りになられたら、引き受けましょう。でも、印税が十分にお支払いできるかはわかりません」ということでした。もう一つは東京化学同人社で、原稿全部をていねいに読んだ小沢美奈子杜長のご返事は、「これはどんなに考えても赤字になる。杜長としては、はじめから赤字になるとわかっている本は決して出すことはできない。でも、出版人としてこの本一冊だけは出したい」というものでした。出版時期の関係で日本評論社にお願いしましたが、出版人としての精神と態度において大手三社とこの二杜との間では何か基本的な違いがあることを実感させられた経験でした(笑)。おかげで首の皮一枚でつながり、世に出されたのがこの本です。

 では著者としては、賞金をいただいて何をするかですが、いま取り組んでいるのが、この英語版をつくることです。最初はレポートなみの翻訳を考えておりましたが、途中で考えが変わりまして、いまは本格的な英語版を世界に出したいと考えています。そしてねらっているのはピュリッツァー賞です(笑)。もっと笑っていただくと調子が出るんですが(大笑)、その理由はこの二冊の本です。一つはジョン・ダワーのEmbracing Defeat (邦訳『敗北を抱きしめて」岩波書店)、もう一つはハーバート・ビックスのHirohito and Making of Modern Japan (邦訳『昭和天皇』講談社)です。この両方とも二〇〇〇年と二〇〇一年のピュリッツァi賞をもらっています。日本の五〇年前のことをキチッと書いた本がピュリツツァー賞をもらったことを受けて、水俣病のことをキチツと書けばそれに値するのだという励ましを受けました。
 とくにHirohito のほうからはすごいインパクトを受けました。これは昭和天皇が戦争遂行の中でどんな役割を果たしたかが実証的に書いてある本です。タブーに挑戦して実証的な研究で何かを明らかにしたという意味では、われわれの水俣病の研究と共通するものを感じました。そして二つの点で大きな衝撃を受けました。一つは迫真性ということです。たぶん二〇世紀の歴史の中で最大の分岐点は柳条湖の満鉄爆破事件です。このとき、林銑十郎朝鮮軍司令官は、独断で朝鮮軍に鴨緑江を越えさせました。国境侵犯です。これに対し若槻礼次郎内閣は閣議を開いてこれを認めないと決めました。その時、金谷範三参謀総長は陛下のところにうかがって閣議決定を無にできる勅許を求めました。この時、陛下が何と言われたか、それがこのビツクスの本には、奈良武次侍従武官長の日記を正確に引用して書いてあります。
 もう一つショックだったのは、私はこの本のことをクロアチアを旅行している時に教えられたということです。したがって、中国やアジアではこの本は知識層の間での常識になっていると思います。ところが日本の知識人でこの本について知っている人はほとんどいません。まして内容について正確に知っている人には会ったことがありません。なぜなら、この本について朝日新聞を初めとする代表的ジャーナリズムがまったく語らないからです。その理由は明白です。天皇に関することだからです。私は、外国で完全に常識になっていることが日本の知識人の間でまったく知られていないことの中に、情報鎖国ということの恐ろしさを感じます。
 そこで私はこの本を紹介し、情報鎖国はいけないんだということを書こうとしましたら、岡本君から危ない、やめとけと一言われました(笑)。しかし、あまり考えないほうですから原稿は書きましたが、それからどこへもっていこうかと考えました。朝日新聞にもっていけばまた断られるかもしれないし(笑)、毎日新聞にはご迷惑をかけてもいけないし(笑)、ということで現代教育新聞の緑川享子編集長--会場におられますが--にお願いしたら「出しましょう」ということで、偶然ですが、一時間ほど前に刷り上がりまして届きました。このとおりです。「情報鎖国は危険」というタイトルで、中に"Hirohito"のいちばん大事な部分を引用しました。しかし翻訳するととても危険なので英文のまま引用しました。今、日本は情報鎖国になっています。鎖国であるから自分たちが鎖国していることに気がつきません。たいへん恐ろしいことです。それを破るのは出版人、目があつてしかも胆力のある出版人でしかありえません。
 その点、毎日出版文化賞は出版人を表彰する賞だということで、私は毎日新聞杜に対し、深い敬意を表したいと思います。
ありがとうございました。
(二〇〇一年一一月二八日)


hajime@jimnishimura.jp