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古い日本人よ さようなら
仕事は生懸命ではだめ、真剣に

 仕事は生懸命ではだめ、真剣に
 私は二〇年前、大分県の公害調査をしたのでよく知っているのだが、津久見は山が海に せまった美しい町である。人々もやさしい。その津久見の高校から、来春卒業する生徒に 講演をしてほしいという依頼を受けた。聞くと、卒業生の九割が、進学せずにそのまま社
会に出るという。先生の話を聞きながら、こういう人達に、ほんとうに為になる話ができ たらと思った。
 学校にいる時と、出てからでは世間が若い人を見る目がまるで違っている。それなのに、 とてもその準備ができてないように思ったからである。生徒である間は保護される対象 だったのに、学校を出た翌日から「仮免」なしで成人にならなければならない。
自立とは何か 成人とは自立した人間ということである。「自立」した人間になること、そのための準備 をするのが、教育の目的のすべてである筈なのに、実はいまの日本の教育は、いろんなこ とは教えても、一番肝心な自立のための準備、特に精神的準備を教えない。そのためか日 本人は大人になっても「自立」しないといわれる。
 他の国ではこういうことはない。実例として、最近、私に仕事を依頼してきたイギリス の若い会社員、トムの話をした。彼は高校を出た時点で親から自立した。はじめ、オース トラリアに行き、一年間放浪生活をしたという。無論、この費用は親持ちではなくて、旅
費と最初の三カ月の生活費は、高校時代のアルバイトでかせいだもので、あとは仕事をし ながらオーストラリア中を放浪し、自然環境を研究したという。イギリスに帰ってからは、 自然護団体でアルバイトしながら大学を出る。その後、環境庁に勤めるが、大学院で生
態学を学ぶ必要を感じたので、二年でやめて、その蓄えで大学院に行った。その後いまの 会杜に勤めてまだ一年だという。それでも、一つの仕事をまかされており、国際会議で私 の話を聞いて、いきなり、国際電話で仕事を依頼してきたのだ。
 こうした自立した生き方は他の国ではむしろあたり前のことなのだ。これからの日本人 に求められているのは、こういう意味で自立する心構えなのだ。だから、いまの若い人は 二重の意味で自立する覚悟が求められている。一つは日本人の大人に成人するという意味
で、もう一つは、世界に通用する大人になるという意味で。
 そこでみんなに「自立」の意味をピンとわかってもらうため、ちょっとショツクかなと 思ったが、黒板に強くつぎのように書いた。仕事は一生懸命ではだめ。真剣にやれ。どよ めきが起こった。そこでつぎのように話した。


 なぜ一生懸命ではいけないか
 一生懸命では、なぜいけないか。仕事では結果が問われるからである。それは、一生懸 命だったかどうかは関係ない。仕事を成功させるには「真剣」にやらなければならない。
 では一生懸命と真剣とはどこが違うのか。責任の感じ方が違う。一生懸命とは他人の指 示に従って働く人の態度である。だから一生懸命やってさえいれば、だめでもその責任は 自分にはない。これに対し、真剣とは自立人の態度である。つまり自分がこの方針でやる
と主張したのだから、責任は全部自分でとらなければならない。このため真剣になるので ある。君達が例えばカンニングやキセルをやるとき、一生懸命はやらないだろう。真剣だ ろう。
 でも実際の態度としてこの二つはどこが違ってくるのか。スポiツをやっている人なら わかるだろうが、真剣とは決して力を入れて緊張した状態でなく、緊張は解いて神経を研 ぎすました状態である。失敗や危険はいっ来るかわからない。そのわずかな兆候(サイン)
も見逃さない態度である。特に重要なのは自分の判断でやっていることだから、道を間違 えていないか、最初のボタンを掛け違えていないか、たえず振り返る態度である。
 一つの例として、最近私が研究で明らかにしつつある過去の技術の失敗の事例を話した。
 あの水俣病の大きな原因を作ってしまったある若い技術者の失敗の話である。独創性もあ る非常に優秀な若者であった。大きな仕事をまかされ、使命感に燃えていた。トラブルが 続いたため一生懸命であった。このときにすでに恐ろしい兆候が現われていたのである。し
かしそれを、自分のトラブルと結び付ける研ぎすまされた神経は、持ちあわせなかったのである。

 人間関係は真剣勝負
 人間関係では、このことはもっと重要である。誠心誠意、一生懸命やれば心が通じる、と いうものではない。相手が何を考えているか何を苦しんでいるか、わずかなサインから見 抜かなくてはならない。まさに人と人との関係は真剣勝負である。
 私にもこんな経験がある。息子が高校二年の時、「酒場でアルバイトしたいが、オヤジの 同意がいるので一緒に来て頼んでくれ」と突然切り出した。「酒場で働くのだけはやめろ」 というと「わかった、オレ断ってくる」と言って飛び出して行った。その時、私は「これ
は家出する気だな」と直観したのである。あわてて追いかけていき、酒場の主人に頼みに いった。客から酒を飲まされるのではないかとの心配があったためだが、主人は「酒場の 人問が酒を飲んだのでは、商売になりませんよ。絶対に飲ませません」と請け合ってくれ
た。
 こうして一時間ほど「自立」「責任」「真剣」ということについて話したあと、質問に入っ た。質問は出にくいかなと思ったらすぐ手が上がって「先生は東大の学生をどう見ますか」 と聞いてきた。これは鋭い質問であった。しばらく立往生したあと「大多数は決してstupid なことはしない人々だ」と答えた。
 このstupidという言葉はトムの生き方について聞いたあと「君は挑戦する勇気をもって いる男だ」とほめたら「それはつまりstupidということと同じじゃないか」と言って笑っ たのをおぼえていたからである。そして私はつづけた。「ただし東大生は全部がそうではな い。逆にその傾向に反発してstupidな挑戦をするドンキホーテが必ずいる」
stupid とは foolishが、知能が足りないの意味であるのに対し、stupidは知能はあるが、先の見通し、判断が足りないの意味。


hajime@jimnishimura.jp