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古い日本人よ さようなら
水俣病の次に来るものは

 水俣病の次に来るものは

 「水俣病東京展」を見に行った。私は水俣湾の水銀汚染の研究はしているのだが、水俣病そのものについては知らないことが多い。特に発病発見当時の患者の病態を伝える「水俣病の医学」は、必見の映画とは思いながら、六時間の大作であるために今まで見る機会を逸していた。今回、原田正純医師の解説でその核心部分が上映されるというので、何をおいても出かけた。
 期待にたがわない作品だった。人形のようになってしまった一六歳の智子ちゃんを、風呂の中で胸に抱く母親の姿を撮ったユージン・スミスの一枚の写真が、いきなり水俣病というものを実感させるのとは対照的に、この映画は水俣病発生の経過と悲劇を静かに追って行き、悲劇の広がりを深く実感させる。
 この二つの作品を中心に、水俣病に関しては多くの記録と告発がある。原田正純氏の医師としての報告、宇井純氏の技術者としての告発、石牟礼道子氏の詩的表現。これらは、科学的正確さという点では問題があるかも知れない。しかし、生産第一主義で高度成長してきた日本杜会に与えた影響は、想像を超えて広く深い。
 日本は、七〇年代に入ってからは、破壊された健康と環境を回復するために真剣な努力と多大な投資をおこなった。その結果、死に瀕していた瀬戸内海がよみがえり、富士山が見えるような空が東京に戻った。この徹底した改心とその後の努力、その結果としての驚くほどの改善は、いまだに世界のどの国にも果たせないでいる歴史的快挙である。
 これが可能だったのは、水俣病が日本杜会に与えた衝撃の大きさだと思う。水俣病は、まさしく環境問題の原点である。

 されど原点に固執するな

 しかし現在、環境問題の教育をどう進めたら良いかと問われたら、逆に私は、「水俣病」に固執するなと言いたい。歴史は多分同じことを二度と繰り返さないからである。水俣病が、私達に与えた教訓は、「公害は恐ろしい」「悪いのは企業」ということだろうが、これ
さえも今後の環境問題では繰り返されるかどうかわからない。これからの環境問題は、水俣病ほどに恐ろしくはなくて小さく見える問題かもしれない。悪いのは、そして立ち向かわなければならない相手は、企業ではなく身のまわりの隣人かも知れない。もし水俣病を公害の典型のように思ったために、目の前の隣人がひき起こす小さな公害が、公害として目にうつらなくなるなら、それはマイナスである。
 その一例が、公共の場所での禁煙である。私のように煙草を吸わない者にとって、最近一〇年の最大の環境改善は、たばこの煙に苦しまなくてすむようになったことである。それまでは、列車の中で頭痛、はき気に悩まされ続けた。そこで七〇年代の後半、嫌煙権という声をあげたが、公害問題にあれだけ関心が高かった時代なのに「人が煙草を吸う権利にまで干渉するのか」とまったく問題にされなかった。タバコの煙は公害と認められなかったし、企業ではなく隣人に抗議する運動は広まらなかった。このため、公共の場所における禁煙措置は、日本独自ではまったく進まなかった。実施された措置は、すべて米国での成果の模倣と追従である。
 歴史には学ばなければならない。しかし同じことは繰り返されない。繰り返すと思っている人の脇で、とり返しのつかないことが進行している。水俣病も、それが社会問題化したのは七〇年代であるが、水俣病が突然にはじまり、多くの犠牲者を生んだのは、一九五三年以後の数年間のことである。この時、誰もこの悲劇に気づく人はいなかった。杜会全体は、徴兵制復活と再軍備への反対だけでゆれていたのである。

 身のまわりの緑を守る新しい経験

 最近、私は学校の先生を対象に「これからの環境教育」という講演を頼まれた。その時、以上のような話をした。そして環境教育の目的は、知識を与えることではなく、生活にまつわる問題解決の考え方、やり方を教えることだから、先生達は過去の例を本から勉強して教えるだけではなく、自分白身が環境問題の解決に取り組んで、その経験から教えるべきだと強調した。それから私自身が取り組んだ駐車場増設反対運動の経験を話した。
 私の住んでいる分譲団地は、公園団地と呼ばれるほど緑の美しい団地だが、一、○○○戸に対し三五〇台の駐車場しかないため、約五〇〇台の車が路上に不法駐車している。駐車場がないため、立地条件はよいのに売買価格は安い。そこで駐車場がない人、売って出て行こうとする人を中心に「駐車場をつくれ」という声は高い。つくる場所としては、樹木が美しい棟間の緑地しかない。そこで、駐車場のために緑地をつぶしていいかと聞くと、半数以上の人が反対なのだが、場所を明示しないで駐車場をつくる提案をすると、ほとんど全員が賛成してしまう。
 こういうことで、場所を明示しないまま、駐車場増設計画が団地の総会を通ってしまった。施工業者も決まってしまった。これに反対した四人は、絶望的になったが、なんとしてもこの工事を中断させなければと立ち上がった。
 運動の第一ステツプは秘密にされていた駐車場の増設地図を手に入れ、これを全戸に配ることだった。配布中に中止させられることを恐れ、配布は人が寝静まった夜中の三時から四時半の間におこなったほどである。
 自分の家の前にできるとわかると、はじめて人々はその影響について真剣に考えるようになった。緑が無くなった影響、騒音の程度、事故の危険など、ややこしい説明文を配っても、丁寧に見てくれるようになった。こうして三か月の間に、名前を公表してこの計画の中止を求める人が二五〇名に達し、私達は緑を守ることができた。
 私は、個人でもジャーナルを出して一、○○○戸に配った。そのタイトルはFact & Fairとした。つまり、共有財産、共有環境に関する争いを解決するには、事実を伝え尊重することが第一、そしてどんな議論にも、派閥を組まずに個人としてフェアーな態度でのぞむことが、絶対に必要だと感じたからである。私は約半年間、ほとんどすべての仕事を犠牲にしてこの問題に取り組んだが、学んだことはそれを超えて大きかった。


hajime@jimnishimura.jp