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古い日本人よ さようなら
日本人はなぜ討論ができないのか
立たない日本人
立たない日本人

 こういう会議なので、一人のスピーカーに対し五人〜一〇人の人が討論に立つ。全部で二〇人ぐらいがしゃべったから、延べ百数十人が討論に立ったわけが、日本人は六人出席していたのに、私が一回質問に立った以外は誰一人質問にも討論にも立たなかった。
 これは単に英語の問題ではないと思う。みんな二年程度の留学の経験がある人達だからだ。たしかに、その場で聞いた話にすぐに疑問をぶっけるため、手をあげてマイクに向かうのは勇気がいる。英語も完全には聞きとれないし、内容の理解も完全でない。それに英語でうまく表現できるか自信がない。こういう風に考えると席は立てなくなってしまう。しかしそれはネイティヴでないポーランド人にも、中国人にも共通ではないか。しかし彼らは立つ。
 なぜ日本人は立たないのか。それは日本の社会に公開の場で論争し討論するという習慣がないからではないかと思う。たとえば、日本の学会での討論は大体、「そこの点を教えていただけませんか」という下手に出ての質問か、逆に、相手をたたきつぶすための高飛車の批判であって、これが討論と思われている。
 これに対し、ゴードンでの討論は、「この結果から、なぜそう考えるのか」「はたしてそう結論していいのか」というような質問を皮切りに「それは理論的に納得できない」という具合に延々と続く論戦である。公開対話といってもよい。日本の討論には、この公開対話という性格が希薄なのではないか。このような対話としての討論こそ、科学の発展には欠かせない。たしかに与えられた問題を解くだけだったら、一人でもできる。しかし新しい問題を見つけるには、討論は欠かせない。
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