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古い日本人よ さようなら
日本人はなぜ討論ができないのか
なぜか? 二つの理由
なぜか? 二つの理由

 日本では、一般の会議でも本格的論戦はまず見られない。根回し杜会だから会議の前に結論が見えていて、会議が気が抜けてしまうのが主な理由だと思うが、もう一つ、上下関係を非常に気にする杜会だから、下から上への批判的発言は、許されないという事情がある。やれば必ず痛い目にあう。私もそれでどれほど損したかわからない。反論があるなら言ってくれればいいのだが、「男は黙って」耐えていて、最後に突然爆発する。対話はない。
 これが男の美学だからである。
 なぜこうなるのだろうか。日本の社会にやくざの趣味があるとは思いたくはない。一つは、英語と同じことを日本語でいうと強くなりすぎるということがあるからではないか。論争は、考えと考えの対決のはずだが、当然、気持ちと気持ちの対決、人格と人格の対決という面もさけられない。論争では後者のニュアンスをどこまで抑えるかがポイントだが、それは言語によって違う気がする。これは日本語が話者の心情を表すのに優れていることの裏返しだが、日本語、特に話し言葉は、コトバとそれを話す人の気持ちの分離がむずかしい。だから、論争には向いていない言葉かも知れない。
 そういうことを考えると、討論を行なうには、日本語より英語が向いていると思う。だから私は大学の研究室では、討論はすべて英語で行うように強制してきた。やってみると意外と容易だし、第一に感情的対立がさけられる。いま日本の高等教育で、特に必要なのは、対話し討論する能力を育てることであろう。それには英語で討論する教育が意外な近道ではないかと思う。
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