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国際文法感覚で作った新日本文法 N文法
I 部 研究の目的と方法
1 何を目指したか
1 何を目指したか

1.1 新しい日本語文法
  国際的に共通する文法感覚で日本語の文法を作りなおしてみました。作りなおすと言う意味は、既存文法の部分的土台から根本的に変えてしまう意味です。また、単に土台の変化を提案するのではなく、その土台の上に全文法体系を作り上げ、その結果として日本語の解釈、作文に直接に役立つ新しい知見や手法を生み出すことです。つまり実用的な日本文法の再構築です。このような大胆な試みは今まで、あまりなされていないし、またされた場合でも新しい見方の提案、提示にとどまっていて、全文法を見直してこれを現代国語に広範に適用し、従来知られていなかった発見、提案をするまでにはいたってないと思います。

国際文法感覚とはなにか
  このような根本的見直しには基本的な視点あるいは基盤が必要ですが、この仕事ではそれは人間の言語に共通する文法感覚です。これを国際的に共通する文法感覚と呼びます。これで国際的とは日本語以外の外国語を含めてという一般的な意味ではなく、中国語、英語以外の外国語も含めてというもっと強い意味です。なぜ中国語、英語だけでは国際的文法感覚にならないかというと、言語学的には、日本語は膠着語であるのに対し、中国語はそれからもっと遠い孤立語であり、英語はやや近い屈折語には属しますが、英語の現代の形態は名詞の格変化をまったくなくし、動詞の人称や態による変化をほとんどなくして、孤立語に限りなく近づいているからです。
  ただしそれは言語の進化の過程で、表面的な特長を失っただけで、文法心理的には、名詞の格と動詞の態は残っています。この心理文法を人間共通の文法心理と呼べば、これは膠着語である日本語にも共通しているはずというのが私の基本的な考えです。この基本的な文法感覚をあらわすには、屈折語の中でも英語ほどには進化していないフランス語およびロシア語の例が役に立ちます。特に名詞の格変化についてはロシア語が、動詞の態変化(活用)についてはフランス語が役に立ちます。国際的とはこのような意味です。

1.3 既存日本文法の誕生と限界

孤立語である中国語との接触  
  既存の日本文法は, 素朴日本語である「やまとことば」が孤立語である中国語文化に接し、文字を知ると同時に、中国語でしか認識されていなかった高度の概念を、広汎に素朴に日本語の中に取り入れようとした時に、起こったと思われます。孤立語と膠着語の違いがあるので、一対一の置き換えではすまず、言語の違いが認識されます。これが日本語文法が認識される第1段階です。

屈折語との接触はもっぱら英語  
  第2段階は、このようにして中国語を取り入れて格段に成長した知的日本語が、屈折語を駆使する西洋文明に接した時に起こりました。屈折語とのはじめての接触ですから、文法にかなり根本的変化が起こってよいはずでしたが、実際に起こったのは、解釈の精密化であって、文法の骨組みの根本的改変はありませんでした。これは接近した西欧列強のうち、政治的理由から、イギリス、アメリカの影響が圧倒的であり、フランス、ロシアの影響は限られていたからでしょう。英語は屈折語といいながら孤立語に限りなく近いので、中国語を参考対照として作られた従来日本語文法は、英語を対照に選んでも大幅に変える必要はなかったのです。つまり、屈折語との対比によって、膠着語である日本語の文法を根本的に見直す機会は、たまたま接した英語が、本格的屈折語でないために、永久に失われたままになりました。

ロシア語が現代日本語にのこしたもの  
西洋文明との接触によって文法は変わりませんでしたが文体は変わりました。江戸時代は、正式の文書あるいは武士の文学書は、漢文そのもので読み方は漢文調であるのに対し、町人の文学書は戯文調でした。現在、正式文書にも、文学書にも使われる原文一致体を、初めて実現したのは、ロシア文学を訳した二葉亭四迷であって、英米派でなかったことは興味深いことです。英文学の名文は漢文調でもそれなりの雰囲気は出せるが(坪内逍遥のシェークスピアなど)、ツルゲーネフの「あいびき」をそれでやったら尾崎紅葉になってしまって、ツルゲーネフの作品のもつデリケートな心理をまったく伝えられないからです。
  ロシア語は完全な屈折語であることと、母音がウェイトを占めるという点でデリケートな心理を表すのに向いており、その点で日本語は本来、中国語よりロシア語に近いと思います。日本語の文法もロシア語を対照にして再構築した方が、デリケートな心理を伝えるのに役立つのではないかと思いました。それが今回の試みをするにいたった一つの動機です。
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