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国際文法感覚で作った新日本文法 N文法
II部 著者の語学的経験と見解

1 英語について

1.1 履歴
幼稚園時代  1938-1939   米人個人教授について会話
高校時代   1949-1951   日米会話学院本科終了
大学1・2年時代 1952    短期間、米軍に通訳として勤務
大学教官時代 1970-1990   研究室内公用語は英語を強制
大学末期-退職 1990-2002   東大で英語特別講義、サバイバル英語
大学退職後  1993-     自宅で英語の発音、聴取、会話個人指導

1.2 関心の中心とレベル
  徹底してこだわるのは発音とスピード。指導でもその点を強調し、lとrの聴き分け、New York の TVドラマの完全な聴き取り、フルスピードの正確な朗読を指導。
高校時代からThinking in English に努力。その結果、vocabularyとsyntaxを獲得。
  英米への留学経験も居住経験もないが会話も講演もまったく自由。20年前、MITに特別講演に招かれた際は、初めて米本土に上陸した翌日、講堂で名誉教授をふくめ、全学科300人を前に1時間半の講演と質疑をメモなしで行った。

関連著作
(1)「サバイバル英語のすすめ」  ちくま新書 1995
(2)「日本人はなぜロジカルになれないか」 「言語」(大修館) 1998

2 ロシア語について

2.1 履歴
小学校2年生   1940    満州でロシア人一家と付き合い、ロシア語で遊ぶ
大学3.4年生   1956-1957 ニコライ堂ロシア語学院で高等科卒
大学4年生    1956-1957 卒業研究をロシア語論文と著書だけで行う
大学助教授    1966    ソ連・東欧を個人旅行1ヶ月、ロシア語だけで生活
大学退職後    1998    カザフスタンビジネス旅行、ロシア語で交渉
大学退職後    2006    カザフスタン研究者を水俣案内、ロシア語通訳補助

2.2 関心の中心とレベル
  ロシア語に熱中したのはソ連の科学技術が、アメリカを追い抜くと思ったから。
  さらにはロシアの数学と物理の学風が好きだったから。
  加えてチェホフが好きだから。モスクワ芸術座によるチェホフの公演には必ず出かけ、イヤホーンなし、ロシア語だけでチェホフを楽しむ。


2.3 ロシア語についての見解 今回の研究との関係
  英語と較べると、ロシア語は、発音と発話の点で、日本語により近い。
  まず母音が多く聴き取りやすい。
  語順が自由で、日本語的発想をそのままで、ロシア語になる。したがって、英語は十年かけても日本英語だが、同じ年数かければ、ロシア語はロシア人並みになるはず。
  ロシア語はギリシャ語に似ていて、文法(名詞格変化、動詞活用)が精密で体系的、文法の完全な知識がなければ、文章はまったく書けない。しかし一旦マスターすれば、文章には英語のような曖昧さはない。
  国際感覚としての文法の概念と文法の有用さを知るのに最適。

3 日本語について

3.1 履歴
小学校低学年   1939-1941 作文が大好き、皆の前で話すのが好き
小学校高学年   192-1945  暗唱が得意、詩に関心、論文を書く(大化の改新論)
大学・大学院時代 1951-1960 漢字を嫌い、日本語を極力さける
システム工学時代 1969-1970 日本語は数学的論文だけ、変な日本語
公害研究時代   1970-1980 TV・新聞・雑誌で活躍、直訳調の日本語
公害啓蒙書発行  1976-1983 「裁かれる自動車」「冒険する頭」文章がほめられる
大学定年退職後  1993-2003  雑誌・新聞に毎月エッセー連載、その後単行本で発行
  「古い日本人よさよなら」「日本破産を生き残ろう」として。
  ほかに研究書3冊「水俣病の科学」「ゲノム医学入門」「人の値段、考え方と計算」
  啓蒙書2冊「サバイバル英語のすすめ」「見えてきたガンの正体」
  小学校生活科教科書2冊「どうしてそうなの」「ほんとはどうなの」
いずれもすっと頭に入り、わかりやすい文章として定評がある。

3.2 日本語の起源とその後の歴史についての見解
  原住民のポリネシア語に、後着民族のコリア語が合体して原始日本語(やまとことば)が形成されたとみる。  その基本語彙はポリネシア語で、文法性格は膠着語。
  この原始日本語の受けた衝撃は2回ある。1回目は中国語、二回目は西洋語。その度に日本語は深刻な影響を受け、日本語は大きく変わった。だから「本来の正しい日本語」というのはない。
  中国語の導入により、正式文書は漢文で書かれ、漢文調で読み下された。これは、江戸時代最後まで続いた。明治以降も、漢文が文章の理想とされ、そのため、鴎外、露伴などの漢文調が、文章の最高峰とされた。
  これは膠着語を、孤立語を理想にして、似せようとしたもので、間違った方向だった。これを救ったのが、西洋語を見習った言文一致体である。そしてこれが現代日本語である。二葉亭四迷など、先人の努力の結果、現代日本語は、膠着語でありながら、屈折語である西欧語の意味とニュアンスを、非常に忠実に表現できるまでに、発達している。江戸時代の日本語には想像もできないことであった。
  現代人の仕事と生活と文化に必須な、表現力豊かな現代日本語は、西洋文化との衝突により、突然に生まれたものである。それを生んだのは、高いレベルで西洋文化を理解し、吸収した知求人たちであった。彼らは、自らがつかんだものに、それにふさわしい日本語表現を与えようと、高い感性を総動員し、崇高な努力をした。現代日本語は、このような努力の累積の結果、精密で正確な表現力を獲得したのである。

3.3 外国語表現力と国語表現力の関係についての見解
  日本語の表現を、西欧国際語にあわせて、現代化する試みは、今も続いている。その努力をしているのは、西欧国際語に較べて、日本語の表現には、正確さと豊かさが足りないと痛感できる人々である。彼らが、大変な苦労をしながら、自分の考えと感じ方を、正確に表現しようとする努力の結果が、現代国語である。現代日本語の性格がそのようなものである以上、外国語での表現力の高い人は、日本語の表現力もたかいはずである。これは、私が東大で多くの学生に、研究結果の発表を求めた際に、はっきり確認できたことである。
  結局、言葉の表現力とは、一つのものなのであろう。一つの言語で高い表現力を得た人は、基礎訓練さえ済めば、他の言語でも同じ程度の表現力を達成できるはずである。問題は、どの言語が、その高い表現力を習得するのに適しているかである。国語を西欧国際語を比較したとき、国語は、表現力の習得言語としては、適していない。まず、何が正しい良い文章かの基準が明確でなく、達成するためのルールがほとんど明示されていないからである。たとえそうであっても、内容と形式の面から手本とすべき作品が、豊富に近くにあれば十分なのだが、国語はこの点でも西欧国際語にはるかに劣る。現代人が直接に参考にできる日本作品がすくない。内容上、参考にしたい作品のほとんどは、西欧産であって、日本文は、問題の残る翻訳にすぎないからである。

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