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国際文法感覚で作った新日本文法 N文法
IV部 [研究結果] N文法は日本文の読解を助けるか

1 日本文の構造理解はいかにして可能か

1.1 文法が読解を助けるとはなにか
  複雑な文章を正確に理解する、特に短時間でそれを行うのは高度に知的な作業です。この知的作業が一体どのような作業かは分かっていません。その証拠にそれができる人工知能はありません。そもそも人工知能にとって「意味」とか「理解」は禁句です。それは丁度「幽霊」とおなじように、言葉があって、人々はあるように信じているが、実はない事なのかも、知れないからです。
  人工知能自身が理解することはあきらめても人間が理解することを助ける人工知能を考えることはできます。それは文の論理構造を明らかにして示すこと、つまり文を、それを構成する要素の論理的な組み合わせ構造として示すことです。
  文の意味が分からなくても、これができるかどうかですが、できるはずです。なぜなら、複雑な文を即座に理解する高度の知性が、それを行っているからです。高度な知性とは、複雑な問題を単純明解な問題に還元する才能であり、そのために、絶えず意味と共に構造を考えています。

1.2 日本文における構造理解のむずかしさ
  日本語と屈折語で、同じ内容の文があった場合、文構造の把握は、屈折語の方がはるかに楽です。屈折語では、文の構造を示す指標が、要所要所に明示的に立っているからです。まず第一に、語と語を切り離すことによって、単語が明示されています。さらに英語では、語順が厳密であるため、品詞の確定が容易です。文節についていえば、文節の先頭は、if, becauseなどの接続詞や、that, whichなどの関係代名詞が、目立つように置かれているので、文節の確定も、その論理構造上の役割の認識も容易です。
  ということは、これらすべてが、明示的でない日本文の構造把握は、遥かに難しいことになります。特に屈折語文からのの翻訳である場合は、屈折語文の読解になれていて、文の論理構造について、上述のような意識がある人なら、構造が明示的でない日本文からも、構造を読み取ることができますが、そうでない場合には非常に難しいことになります。
  つまり一見常識とは逆ですが、日本語ばかり読んでいる人と、外国語に習熟している人と比べた時、外国語派の方が、複雑な現代日本語の解釈に優れているはずです。これは受験生について英語と現代文の成績を比べてみて、よく確かめられていることです。

1.3 日本文の構造把握の鍵はどこか
  日本文の構造把握のポイントは構成要素となる文節を確定し、その論理構造上の役割を認識することです。そのために一番重要なのは、英語で文節を示す指標になっているwhen, if, becauseなどの接続詞、that whichなどの関係代名詞に相当する字句に、注意を向けることです。英語では、これらはすべて文節の先頭にあるので、一目瞭然ですが、日本文では、接続詞は文節末にあるので、目立たないので、特別な注意が必要です。
  でも接続詞は、あるから良いのですが、関係代名詞はないから困ります。これは名詞を修飾する形容動詞の形で存在しますから、さらに特別な注意が必要です。

日本語に特有な二つの構造への対処
  文節にはこのほかに多い形として二つあります。どれも日本文に特有なもので、形態的には、国際的文法感覚から少しずれたものです。しかし、表現心理的には、大きなずれは、ないはずなので、構造解釈では、この心理を生かす工夫が、必要になります。

単純継列的文章
  一つは継続的に起こった動作をwhen, afterなどの接続詞を使わず、時間の順に並べる形です。これは日本語の会話では、終止を嫌う心理に起因しています。「立ち上がった」「泣いた」と切るべきところを「立ち上がって」「泣いて」と接続形にすると文章がいくらでも延ばせるからです。場合によっては、終止のないまま、別の話題にも移って行きます。
  この単純系列的な形は、起こったことを、報道のように活写する場合は、まさに最適ですが、日本文では、もっと構造的な表現が必要な場合も、この単純並列的な表現に依存する傾向があります。このような場合は、話者の表現心理を考えて、並列的な文節を、前置文節、主文節、後置文節に分ける構造解釈が必要です。

開始格「は」による話題開始文章
  もう一つは、開始格「は」で終わる語句です。これは動詞を含まないので、文節ではありませんが、日本語の性格上、独立な文節として扱わねばなりません。それはここで話が開くと、聴き手はその結びが来るまで、心理的に「待ち」の状態に入るからです。開始格のこの特殊で重要な役割に注目して、N記号体系では、これに特別な記号をあたえています。梹送ソ2 開始格に示すように、はが話題開始に使われるときは、Mw { } とします。つまり、話題開始を告げるため、括弧を開き、注意の持続を促し、終わった所で括弧を閉じます。一種の係り結びです。

結論
  文節認識と確定の決め手は、接続詞、動詞の接続形、形容動詞、名詞の開始格

1.4 文節決定で配慮するもう一つの面
  日本語の特長は、字母数に依存するリズム感が非常に強いことです。意味のないことでも7・5調でやると快く響き、聴衆をひきつける力があります。文を要素に分解する時もこのことは無視できません。7・5調の原因は、名詞が格語尾を含めると5音、動詞に助動詞・接続詞がつくと7音ということにあります。すると文章の場合、自動詞なら主語・動詞で12音、他動詞なら目的語を含めて17音になります。ですから、ひとまとまり文節は、大体15?20音になります。 
  一方、文章を音読する立場からみると、区切りは、もっと短いほうが、読みやすいし、聞きやすいようです。極端にいえば、「まだ上げそめし./ 黒髪の」の 五、七、五、調が、音としては、迫力があり、心地よい。しかしこれでは、意味上の最小単位となる文節の途中で、心理的に文が切れてしまうから、意味が伝わらなくなる。そこで、意味を伝える最小の長さで、音響心理的に受け入れれる長さをえらぶことが、課題です。
  それが、字数にして15〜20字での区切りというのが、結論です。すべての文が、この区切り方で、意味と音響の両面の要請を満たしているとは、いいませんが、よい文章と評価を得ている文章は、そうなっています。以下では、そのことも、示しましょう。

2 実際文例への適用

2.1 実例分析の概要
  さまざまな著者のさまざまな文献を選んで、上述の方法による文構造分析を行ってみたのでここに結果を示します。分析の対象にした文章は、つぎの通りです。
大江健三郎 「万延元年のフットボール」(小説)
小林秀雄  「骨董」(エッセー)
岸 恵子  「栗毛色の髪の青年」(小説)
洲之内徹  (美術評論家)「あかまんま記」
竹内敏晴  (演劇出家)「人形の家」(演出手記)
西村 肇  「日本人はなぜロジカルになれないか」(論文)

  分析は上記文献の冒頭部分、文にして約300文、字数にして約1万字について行いました。

  実例分析の目標は、次の二つです。
1)文節に分解すること、
2)文節の相互関係を明らかにすること,
  文節への分解は一義的でなく、いろいろな観点から妥当最適と思われる結論に至達するには、長い試行錯誤が必要でした。
  しかし、一旦文節に分解されてしまえば、その相互機能関係の認定は容易です。分析した6例の文章について見ると、大江の文章と竹内の文章以外は、ほとんどは起こったことを時間的経過にしたがって順に並べている継列文節文であって構造分析の必要もないものでした。そこで、本報告では、文構造分析としては、竹内と大江の例だけを示します。

2.2 文節への分解
  文節への分解のための文の区切り指標については、すでにいくつかの指標を示しました。もっとも重要なのは接続詞と動詞の接続形であり、つぎ関係代名詞に相当する形容動詞で、その他に開始格「は」で終わる文頭句が決めてです。実際これにしたがって 梹送ソ 8にある竹内の文章を分析したのが 梹送ソ 9です。文の区切りがどんな判断で行われたかを示すために、文節のN記号表現を第2列に、その末尾を第3列に示しました。第4列はその原文、つまり文節末尾原文です。
  記号表現末尾はルールに従って機械的に選ばれたものですが、その末尾原文は、文章に少し慣れた人にとってはきわめて自然で当然なものになっています。したがって少し文章センスのある人なら、しばらくN記号を利用して文節区切りに慣れたあとは、記号を利用しないでも直接に原文を文節に区切れるようになります。
  大江健三郎の文章 梹送ソ 10をこのような方法で文節に分けたのが 梹送ソ 11である。その結果興味あることは、ルールによる文節分解と大江健三郎自身による句読点が、驚くほどよく一致していることである。後半の一部を除いてそれは完全に一致していた。

2.3 文節の相互関係の明示
  文節の機能は竹内の文では1)冒頭句、2)前置文、3)主文となっており、その他に挿入文が入る基本構造になっている。前置文は、日本の話し言葉では多用されるが、西洋語では少ない。それを真似した論文調日本語でもこれをさけます。そのためには、接続形でつながず、終止形で文章を区切ってしまえばよいのです。そしてそれが推奨されます。
  ところが竹内の文章は、読者が直接に話を聞いている気持で、話に入れるよう配慮した文体ですから、前置文が 1,2,3と多くなっています。また個々の前置文、主文も一文節ではなく三個程度の文節からなっています。このような性格の文章ですから、ここでいう文節は動詞を含んだClauseとは限らず動詞を含まない句も多く入っています。文節を厳密なClauseに限ると一文節の音数が20を超えてしまい、リズムが悪くなって理解を妨げるからです。
  これに対し大江の文章は難解で一見悪文に見えますが、文節をClauseに限っても音リズムがこわれません。意味と音韻の両方を考慮した文章といえます。これが一読して難解なのは、竹内の文章にはない埋込文があるからです。名詞を修飾する文節でthat clauseにあたるものです。挿入文が重層的に何段にも置かれているので、分かりにくくなるのです。
  ドイツ語では、一つの文章が1ページになろうと、それが原因で分かりにくいことはありません。名詞の数と性を活用するのでwhich clauseを多用しても構造が曖昧になることはないからです。
フランス語はドイツ語ほどではないが名詞の性があるから基本は同じです。英語は性がないからこういう真似はできません。したがって英語は重層的な文は使いません。文節を独立な文章にしてしまい、他の工夫でその相互関係を表現します。
  日本語は関係代名詞もないし、名詞の数も性もないので文章の構造は英語より単純にし、挿入文は一段以上はさけなければならないのに、大江の文章はフランス語で普通の構造をそのまま日本語に言いかえたので、一読したのでは分かりにくいものになっています。しかしここに示したように、一旦文章の構造を明らかにしてみると、この大江の文章は、言うべき内容を、必要なだけ正確に、しかも無駄なく、最小限の言葉で表現した「良いい文章だ」と言えます。

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