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特別寄稿 原子力文化 2008 11月号
どこがスゴイか 南部陽一郎

 「南部、益川、小林の三氏にノーベル物理学賞」というニュースを聞いた途端、南部陽一郎は世界最高の物理学者と確信して三〇年間「追っかけ」て来た私は、嬉しくて飛び上がりましたが同時に「なぜ南部さんの一人受賞でなかったのだろう。世界最高の南部さんには、それこそがふさわしかったのにとも思いました。

現代素粒子論の三つの基本は南部の天才から生まれた
 実は、そう感じている物理屋は相当いると思います。南部陽一郎を高く仰ぎ見て敬愛する専門家は多いからです。では、なぜ偉いのか。それは、この五〇年間の素粒子理論の研究のすべての面で先鞭をつけ、研究全体をリードしてきたのは南部だからです。南部陽一郎の名を抜きにしては、現代の素粒子理論のどの面も語れません。クォークが多次元の「ひも」で結ばれているという「ひも理論」も、湯川秀樹の中間子理論を大きく進化させた「色の量子力学」も、素粒子の質量を決める理論である「ヒッグス機構」も、そのどれを取っても最初の発端は南部のアイデアです。
 現在の素粒子論では陽子も中性子も素粒子ではなく、その三分の一のかけらに相当するクォークが素粒子であることが確定していますが、このクォークを考える決定的一歩になった「西島ゲルマンの公式」も、実は南部が西島和彦に与えたヒントが基礎になっていると言われています。
 つまり、南部は一人で「現代素粒子理論」の骨組みをつくったような人です。物理学者としての「仕事ぶり」= 「頭の働き」は、まさに「すごい」と言うしかありません。その「すごさ」は、湯川を超えているとさえ思われます。
 南部のすごさを語るには、以上の三つの仕事を説明せねばなりませんが、一般の人がそれを聞いて何かが「わかる」とは、とても期待できません。「角運動量」も「固有振動数」もわからない人をつかまえて、「アイソスピン」や「ゲージ場」の説明はまったく意味がないからです。ただし「たとえ話」を使って、わかった気にさせることは可能です。「自発的対称性の破れ」の説明がそれです。
 パーティーの会食のため長いテーブルにナイフ・フォークとナプキンが交互に並べて用意されているとします。座った人が自分の右のナプキンを取るか左のナプキンを取るかは偶然によりますから、結果はちようど同数になるはずです。しかしこれは人がバラバラにテーブルにつき、バラバラに食事をはじめた時の話で、もし人がすき間なくテーブルにつき、誰かの発声で一斉にナプキンを取り上げる場合、一番早くナプキンを取り上げた人が右を取り上げたらみんな右、左を取ればみんな左にならざるをえません。人間の体は対称なはずなのに、あらわれる結果は非対称になります。これが自発的対称性の破れです。これを聞いて、「ノーベル賞とはその程度のことか」と思う人が多いかも知れません。これは間違いです。対称性の破綻の発見が南部の仕事ではなく、それが素粒子の質量を決める原因になっているというのが、南部の発見だからです。

湯川の偉さと南部のすごさ 精神と実力
 湯川先生の「偉さ」がわかる人にも南部の「すごさ」はわかるとは限りません。湯川は精神の高さで卓抜し、南部は能力の高さで卓抜しています。そして、能力に関しては、人は自分を超えるものを評価できないからです。南部の受賞が遅れた理由はここにあると思います。
 南部の仕事から「すごさ」を知ることは難しいとしても、南部が書いたもの、話したことから「すごさ」に近づくことはできます。まず『クォーク』(講談社・ブルーバックス)は南部が、一般向きに本気で書いた本で、最良の手引きです。ただし、一見平明ですが、抜けも余分もない論文のような記述なので、読んだことを完全に理解しながら進む人でないと、途中で放り出すかも知れません。
 そこで、一般の人にも南部さんの「すごさ」がわかるのは、インタビューに答えて、何気なくもらした言葉かも知れません。南部はアメリカ在住五〇年ですから、当然英語は完壁なので、「何語で考えるのですか」という質問に対し、「だいたい数式で考えます」と答えています。また、「私は計算は、だいたい頭の申でやります」とも答えています。計算といっても勘定書の計算ではなく、理論物理の計算です。ギリシャ文字の数式を移項したり微分したりの計算ですが、紙何枚にわたる数式が、頭の中に完全に正確に見えていなければ出来ない計算です。紙に書いて計算するより、その方がはるかに速いし、先が見えるからでしょう。将棋の名人も同じでしょうが、常人のとても真似できない精神集中の結果と思います。
 精神集中というと、沈思黙考、自己沈潜の人を想像しますが、仕事から見える南部の人柄は違います。大物理学者を、自己の思考にだけ集中して一挙に真理に達する湯川秀樹タイプと、最高の武器を手に入れ、つねに最先端での計算を絶やさない朝永振一郎タイプに分けると、南部は基本的には朝永タイプです。しかし、自分の思考を確信し、大胆なことを考える点は、湯川さんの影響でしょう。

 この南部さんが意識的に日本を離れたのは、「群れることを嫌う」気質のためでしょう。同時受賞者の益川さんが言っていますが、「南部さんの成功を囲んでみんながワイワイがやがやっている時、本人は次の所へ行っている」人です。
 南部がアメリカに行く直前、大阪市立大学にいたころは素粒子論グループの活動の絶頂期で、どう研究を進めるかの論も盛んでしたが、南部はこれにはほとんど加わっていません。数式で考える人なので、言葉による議論は好まなかったのでしょう。ゲルマンのクォークモデルが出たとき、素粒子論グループは哲学的観点からこれを批判、否定しましたが南部はこれに同調しませんでした。問違える危険を恐れたのかも知れません。そこに南部さんの精神的特質もあるし、成功の原因もあると思います。

Ref:南部陽一郎の独創性の秘密をさぐる(1)(2)(3)

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