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専門家にたちむかうドン・キホーテ

 専門家にたちむかうドン・キホーテ

 環境微生物学の分野へ

 つぎに私が注目したのは、石油による汚染でした。こんな光最が気になったからです。
 水島では、夕方になると、工場の岸壁からおもしろいように魚が釣れましたがだれももって帰る人はいませんでした。油くさくて食べられないという話でした。エックマン採泥器で底泥をとってみると、うっすらと油膜が浮いているのが見えました。
 このままでは、たとえ瀬戸内海に魚は残っても、油くさくて食べられないということになりはしないかと心配したのです。それでは、いったい、瀬戸内海にはどのくらいの量の油が流れこむのか、それがあとどうなるのかをしらべてみたのです。
 足でデータを集め、たりないところは頭をひねるという、例の私たちの研究方法でしらべた結果、工場や船舶から一年間に流れこむ油の量は、約一万トンと推定されました。ほかにタンカーの衝突事故による油もれも考えなければなりません。
 私は海上保安庁にいって、海難統計をくわしくしらべて、瀬戸内海で大型タンカー同士の衝突事故のおこる確率を計算してみました。二?三〇年に一度ぐらいの割合でおこり、その時一万トンの石油がこぼれるだろうとの結論です。
 むずかしいのは、この一万トンの油が、どこへいくかです。かなりのものが底泥の上にたまるとみられますが、微生物によって分解されるものもあるはずです。
 もし分解されないとすると、重金属と同じように、生物の体内につぎつぎとたまっていき、ついには生態系をくるわせてしまうでしょう。少なくとも魚は油くさくなるでしょう。
 ところが、石油が海の中の微生物によってどのくらい分解されるかにかんしては、世界中でも研究がひじょうに少ないのです。とくに日本では、全然研究されていませんでした。世界一の石油の輸入国として、これではいけないのではないか、と強く感じました。
 そこで、いろいろな方面の専門家と協力して、海の石油汚染を研究する計画をたて、通ることはほとんど期待できませんでしたが、文部省に研究費を申請しました。ところが、申請してから一ヵ月後、はたして予測したように、新潟で、大型タンカーの座礁事故がおこり、油が流れだし、たいへんなさわぎになりました。
 そこで、急きょ、私たちの研究計画がとりあげられ、三年のあいだ研究費をうけることができました。
 こうして、海の石油汚染が私の新しい専門になったのです。私はまず、東京湾や大阪湾のベンツピレンの量をしらべました。ベンツピレンというのは、強力な発がん物質で、工
場排水の中に大量にふくまれている場含があります。
 当時、お化けハゼといって、体中におできができた、気持の悪いハゼがあちこちで釣れていましたので、これがベンツピレンによるものではないかと考えたのです。
 この分析にはたいへん苦労したのですが、お化けハゼの分布と、ベンツピレンの分布のあいだには、直接の関係は認められませんでした。お化けハゼはベンツピレンによるガンではないだろうというのが私たちの結論です。
 結果的にはからぶりに終わった研究ですが、今までフランスの研究者ひとりをのぞいて、だれもはかっていなかった海の泥の中のベンツピレンの分析に成功したことで、一つの大きな自信がつきました。
 そのつぎは、このベンツピレンが、微生物によって分解されるものかどうかを知りたくなりました。工場の排水から、または自動車の排ガスから、大量のベンツピレンが放出され、これが海にはいりますから、もしベンツピレンが微生物による分解をうけないとすると、海の中にどんどんたまっていき、濃度が高くなります。
 そしていつか、魚にガンをおこさせる可能性があるわけです。それを食べる人間にも、当然、ガンをおこさせるでしょう。
 ところがもし、環境中にベンツビレンを分解して無害にしてしまう微生物がいて、海に流れこんでくるベンツピレンを、つぎつぎと分解しているのなら、ベンツピレンの濃度は、もうこれ以上変わらないはずです。
 微生物による分解性の検討は、このようにたいせつな意味をもっているのです。
 ところが、ベンツピレンが環境中の微生物によって分解するかどうかについては、今までまったく研究報告がないのです。私たちは、世界中の文献をいろいろさがしてみたのですが、ついに見つかりませんでした。どうしてもデータが必要なら、自分でとるよりしようがありません。
 微生物の分解など、微生物のはたらきをしらべる学問を、微生物学といいますか、私たちは問題を追いつめていった結果、自分たちが微生物学の分野にとびこまなければ、犯人はつかまえられないという事態にたちいたったのです。
 しかし、微生物学の分野にとびこむとなると、さすがにちょっとちゅうちょしました。
 私たちはコンピュータの分野から、化学分析の分野にとびこんで、何年もかかる壁をのりこえてきたばかりですが、微生物の分野にはいるとなると、また何年もかかる壁をよじのぼらねばなりません。
 しかし、自分たちがよじのぼらないかぎり、自分たちの問題は解決できないのですから、よじのぼるしかありません。
 私たちは菌を寒天培地で培養して、コロニーをつくらせることをくりかえして、菌を単離するこからはじめました。化学の実験も、微生物の実験も、直接目で見えないものを対象にしている点で、物理実験とちがうという共通性がありますが、化学の場合は、何グラムの試料を正確にはかりとって、何グラムの過マンガン酸カリで酸化するというように、すべて定量的で、答えも何回やっても変わりありませんが、微生物の実験は、菌の数にしても、それほど定量的でなく、また、同じ実験をくりかえしても、同じ結果がえられないのがふつうで、だいぶとまどいました。
 しかし化学の実験が写真のようなものとすると、微生物学の実験は映画のようなものです。汚染の姿だけでなく、それが動いていくようすがわかるのです。微生物の働きをとおして、はじめて環境汚染のメカニズムが理解できるのです。
 私たちの研究室は、環境汚染分析の仕事から、しだいに、環境微生物学の仕事に研究の重点を移していきましたが、これは、問題を解決するために研究するという私たちの立場からは、当然のことでした。
 しかし、環境汚染分析の仕事をしていた専門家は、このような形で専門をひろげることはできませんでした。

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