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冒険する頭 新しい科学の世界
七大都市排ガス規制調査団のひとりとして

 七大都市排ガス規制調査団のひとりとして

 環境庁との対立

 聴聞会のあと、報告書の作成について相談しました。このような委員会の報告書は、たいてい事務局が原案をつくって、委員は手を入れるだけというのがふつうなのですが、これぱかりは、そういきそうもありませんでした。
 二日ほど合宿して、共同で書きあげることも提案されましたが、私は、専門的問題にっいては、委員が個人の責任で報告を書くことを提案し、結局認められました。
 こうすると、一つの報告書のなかに、二つのことなる評価がならんで具合が悪いともいわれましたが、科学者が協力するには、この形以外にないと思ったからです。
 科学者は事実にたいしてはきわめてすなおですが、人の意見にたいしては寛容でなく、妥協できないからです。
 こうして私は個人の責任で、五十一年度規制の技術的可能性にかんする報告を書きあげました。さまざまな方式について、技術開発の現状と見通しをのべたあと、結論として、五十一年度規制、あるいはそれにひじょうにちかい線は、技術的に完全に実施可能であろうと記しました。そして最後につぎのように書きました。
「必要なデータをえられずにおこなった予測であるから、一部、ややあらい推論にたよらざるをえなかったところもある。その推論がまちがいだとするなら、その責任はデータを秘匿しているメーカーにあると考える。
 もしその推論は成りたたないと主張したいなら、メーカーはデータをもってその根拠を示す義務があると考える。われわれはいくらでも技術論争に応ずる用意がある」
 報告書の発表後、緊張して待ちうけましたが、メーカーからは、なんの反論もありませんでした。ところが二、三日後に、まったく思いがけない方角から石がとんできました。
 国会で環境庁の大気保全局長が、「報告書の結論は科学的推論でないと思う」、「羊頭殉肉の感がある」と、のべたのです。
 環境庁から攻撃をうけるとは、まったく意外でした。メーカーの反対で苦労している環境庁にたいし、私たちは援護射撃をしたつもりだったからです。
「科学的推論でない」という批判も、とぼしい条件のなかで、精一杯の科学的推論を目ざした私には、たいへんな侮辱と感じられました。そこで私は、猛烈な反論の談話を新聞に発表しました。完全なけんかでした。
 これを契機に、排ガス規制問題にたいする一般の人びとの関心が、いっきょにもりあがりました。この問題を審議している環境庁の専門委員会と、七大都市調査団との討論をのぞむ声が強くなりました。
 そこで私たちは、討論のため環境庁にのりこみました。たいへん気負っていったのです
が、委員長はわれわれの報告書について
「よくまとめてある。技術開発の見通しについては、大きな意見のちがいはない」
 とのべました。
 非科学的という非難に反論しようと思っていた私たちは、完全な肩すかしを食らったことになります。四時間ほど討論にもならない討論をして、共同記者会見をしましたが、この時、委員長は、技術的判断には差はないが、量産に必要な準備期間(リードタイム)の点で、多少考え方がちがうとのべました。
 技術開発の見通しについて、私たちの報告書の正しさを認めざるをえなくなったら、今度は、リードタイムで逃げこみをはかろうとしていることは明らかでした。トヨタ、日産は、三、四年のリードタイムを主張しているとも伝えられてきました。
 さっそく本や論文で、リードタイムについてしらべてみましたが、これについては不思
議なほどなにも書いてないことがわかりました。したがって、リードタィムに逃げこむの
は、このうえなく巧妙な方法ということになります。
 その時ふと、社史をしらぺてみたらと思いっきました。どの会杜も何年かおきに、自分の会杜の歴史を立派な本でだしますが、この中に、試作とか試験とか、工場建設をいかにすみやかにやったかが、得意気に書かれていました。
 これらを研究した結果、リードタイムは一年か一年半で十分だということがわかりましたので、また発表しました。二日後におこなわれる専門委員会の最終決定会議へ、牽制球をなげたつもりでした。
 十二月五日夜おそく、やっと専門委員会の結論かだされました。小型〇・六グラム、大型〇・八グラムというものでした。
 七大都市調査団は、よく奮戦し、世論もそれを支持してくれたと思いますが、残念ながら、私たちの活動は、専門委員会の結論に、まったく髭響をあたえることはできなかったのです。
 その理由は、私たちの提出したものが、結局は推論だったからで、現実の政治を動かすには、もっと決定的ななにかを必要としたのです。
 専門委員会は、えらい学者や専門家で構成されていて、その結論は、たいへん権威あるものです。専門委員会がこのような結論をだしたことで、世間の人びとはやはりメーカーのいっていたことが正しいのかな、と思うようになりました。
 しかし、専門委員会が結論をだしたあとで、この結論の神聖さを根本から疑わせるようなことがおこりました。
 私たちは以前、専門委員会の討議を公開せよと要求したこともありましたが、「厳正中立な立場から専門的議論をする場だから、公開はのぞましくない」といって、ことわられました。
 専門委員会の審議は、重い扉の内側でなされていて、だれもそのそばにはちかづけないはずでした。ところが実際は、メーカーの団体である、白動車工業会の事務局技術部長という人が、毎回かならず委員会に出席し、各委員の菱言内容を克明にメモした完壁な議事録をつくって、これを各自動車メーカーに流していたのです。
 国民がまったくつんぽさじきにおかれていた時、メーカーは、たなごころをさすようにそれを知っていて、対策をたてていました。共産党がこのメモを発表した時、その世間にあたえた衝撃はたいへんなものでした。
 この自動車工業会作成のメモによると、最終結論がだされた当日、どんな討議がおこなわれたかを知ることができます。

 たとえば規制値を一つにするか二つに分けるか、その数値をどうするか、審議のようすはつぎのようでした。
 環境庁課長 「本来一本がのぞましい。可能性のあるきぴしいもの」
 委貝(メーカー重役) 「〇・九 一本」
 課長 「今〇・六がでている。〇・六 一本でやるべきだ」
 環境庁大気保全局長 「精神的には〇・六 一本」
 委貝長(東大教授) 「技術的にはむつかしいところ、政治的に考えたい」
 課長 「〇・六と〇・九では、格差が大きすぎる。トヨタは〇・九ならできるといっている。メーカーのいいなりである。事務局としては、〇・九にしていただいてもどうしようもない」
 委員長 「では〇・八五」
 委員(研究者) 「トヨタのそんな資料かあるのか」
 課長 「メーカーのいうことが信用できない。今まで一・一 〜 一・〇しかさがらないといっているのが、〇・九になった」
 委員 「感情論はよくない」
---休けい---
 委員長 「一トン以下〇・六。それ以外〇・八五でどうか」
 これで専門委員会の結論がくだされたのです。専門委員会の中では、さぞかしむずかしい議論がなされたのだろうと、だれも考えたのですが、,わかってみるとこんなものでした。
 とくに、東大教授の委員長のいっていることは、まるでバナナのたたき売りです。私たちのほうがよほどまじめに勉強し、議論してきたことは明らかです。それでも一つだけ、もっとも大事な情報をとり落としていたことがあとでわかりました。
 東大の熊谷教授の発明した、熊谷エンジンについての情報です。

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