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冒険する頭 新しい科学の世界
七大都市排ガス規制調査団のひとりとして

 七大都市排ガス規制調査団のひとりとして

 熊谷エンジンをめぐって
 熊谷先生はこの委員長と同じ航空学の教授で、年もちょうど同じぐらいでしたが、まったく研究ひとすじの人で、エンジン内の燃焼の研究で、この方面のノーベル賞にあたるものを、二度ももらった学者でした。
 しかし、なにごとにもすじをとおす人で、こわい先生でした。大学紛争直後のことでしたが、講義の時に、出欠をしらべるために紙をまわして名前を書かせたところ、欠席した友人の名前を書いたものがいるのに気がつきました。
 そこで他人の名前を書いたものはでてくるようにいって、でてきた一〇人ほどの学生を一列にならべて、思いきりなぐったことがありました。大学生の友情というのは、そんなケチなものではないことに気づかせたかったからです。
 すると部屋に帰ってから、学生がもうひとり、自分もなぐってほしいといってきたそうです。東大では、教室で学生をなぐった教授というのは、熊谷先生のほかには聞いたことがありません。
 この熊谷先生が新しいエンジンを発明されたことも、またそれが五十一年度規制を達成する有力な候補だということも、もちろん私は知っていました。しかし、七大都市調査団の報告書では、私はこれを取りあげませんでした。
 理由は、一つにはデータが全然手にはいらなかったことですが、もっと根本的には、熊谷先生のような純粋な学者が考えたものが、そう簡単に実用になるはずはないと思ったからです。
 専門委員会の結論がでる二、三日前、世間が騒然としている時に、ある会合で先生のお話を聞いたことがあります。その時先生はつぎのように話されました。
「五十一年度規制はやろうと思えばやれたのです。メーカーは、いまになってリードタイムがたりないというようなことをいっているが、これは、五十一年度規制は実施させないという見こみをもって、すでに生産ラインの準備をしているからたりないということです。専門委員会が、そういうメーカーの態度を容認していることが問題なのです。技術的に可能、不可能ということでなく、政治的に不可能ということです。」
 先生は、はっきりいいきられました。先生の話はいっも事実にもとづいていて、憶測を語られることはありません。この話も、なにかはっきりした事実をつかんでのことのようにも思いましたが、研究ひとすじの先生が、メーカーの内幕まで知っておられるはずはないと思い、それ以上うかがうのは遠慮してしまいました。
 やがて、三月に停年でやめる教授の最終講義の立て看板がたちならぶ季節になりました。熊谷先生もおやめになるはずです。私は、ぜひ先生の最終講義を聞きたいと思って注意していたのですが、ついにその立て看板を見ませんでした。
 三月になってお弟子の木村教授にうかがうと
「もう最終講義はすんでしまいました。立て看板は先生がおきらいなのでたてませんでした」
 ということです。ぜひ先生のお話を聞きたかったのに残念だということを伝えていただくと
「それほどなら、君ひとりを相手に最終講義をしてやるから家にこい」
 ということになりました。
 こうして私は、熊谷エンジンについてはじめてくわしいお話を聞くことができました。
 熊谷エンジンの原理は、ここでは省略しますが、そんなむずかしいものではありません。先生の研究と同じように単純明快です。この方式では、理論的には窒素酸化物排出量を〇・ニグラム程度まで下げられるはずです。問題は、そう理屈どおりうまくいくかどうかです。
 専門委員会の報告を見ると、「熊谷エンジンは大量生産可能ということでなく、ただちに実用可能とはいえない。これについて研究開発をおこなっている日産の現状では、窒素酸化物〇・六〜一・〇四グラムで、まだやっと五十年度規制を達成したにすぎない」と、書かれています。
 つまり、このエンジンはまったく問題にならないということです。
 お宅では、先生はだまってデータを見せてくださいました。先生が三菱自動車にたのんで実験してもらった結果によると、窒素酸化物排出量は〇・二ニグラムで、ゆうゆう五十一年度規制をパスしているのです。
 この実験車には、先生も乗ってみられたそうですが、運転性、乗り心地ともに、まったく問題がなかったそうです。完全な成功です。
 先生はこの結果を、専門委員会の報告がでる半年もまえに学会でお誘しになったそうです。専門委員会は、もちろんこのことをよく知っていたはずですが、これについてはひとこともふれずに、日産のデータだけを示しているのです。
 西村 「同じ実験を、日産でやったらうまくいかなかったのですか」
 先生 「そんなことはない。日産でもちゃんと成功してますよ」
 西村 「では、なぜ報告書にこう書かれているのですか先生 「ぞればこういうこどです」
 先生の説明によると、実験はいろんな経緯があって、結局、三菱と日産の両杜で別々に進められましたが、だいたい同じような成績がえられたそうです。そこで先生はこの結果を学会で発表しようと思い、日産に実験結果を送ってくれるよう依頼したところ、送ってきたのがどういうわけか、最終報告書にあるような、悪いデータだったのだそうです。
 そこで先生は、さっそく実験担当者に電話して、もっとまともな実験結果があるはずではないか、というと、でてきたのは?・ニグラム台で、三菱のとほぼ同様なものだったそうです。しかし日産は、データを発表する時は、よいデータばかりでなく、悪いほうのデータも一緒に発表してくれ、そうでないならデータの発表を断わる、というのだそうです。
 しかし、悪いほうのデータは、熊谷エンジンとして作動している時のデータとはいえないので、先生のほうが発表を断わり、結局学会では、三菱のデータだけをお話しになったそうです。
 この発表の時は、各杜の排ガス間題担当の幹部は、ほとんどすべて出席していたそうですが、先生の発表にたいし、まともな質問一つ、問い合わせ一つなかったそうです。
 こうして、五十一年度規制を実現できる可能性の一つが、完全に黙殺されてしまったのです。
 これが、私が熊谷先生から聞いた最終講義です。私はこんな重大な謡を聞きながしにしておくべきではないと感じましたので、熊谷エンジンの技術的評価について、さっそく論文を書いて発表しました。その結果、これは国会でもとりあげられるような大きな問題になりました。
 五十一年度規制は、技術的には実施可能であるという私たちの判断が正しかったことは、だれの目にも明らかになりました。メーカーが出はいり自由であった自動車専門委員会のでたらめさ加減が・徹底的に明らかになったあとですから、さきの専門委員会の決定は取り消して、もう一度あらたに検討しなおすべきである、という声が強くなりました。
 その結果、自動車専門委員会のメンバーは、委員長以下全員辞任して、まったくあらたな委員が任命され、検討のしなおしがはじまりました。これでだれの目にも勝負あったと見えました。

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