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冒険する頭 新しい科学の世界
七大都市排ガス規制調査団のひとりとして

 七大都市排ガス規制調査団のひとりとして


 高まる悪評

 いちばん注意して正確を期したのは、メーカーや専門委員会の個人の発言を引用する場合です。かならず第三者の記録に残っているものだけを使い、私個人の記憶がどんなに鮮明でも、記億にたよることはさけました。
 もう一つ、ふつうにはやらないことでやったことは、実名を使うことです。ふつうは、こういう文章では、それがすぐトヨタ、日産とわかるのに、丁杜、N杜とし、田中氏、佐藤氏とわかるのに、丁氏、S氏とします。
 これは、直接人を傷っけないための手段だと考えられていますが、名誉毅損や中傷などで訴えられないための、安全手段でもあるのです。こうしておけば、十二分にたしかでないことを書いても、ある程度の憶測を書いても安全だからです。
 しかし私は、絶対確実なこと以外は書くつもりはありませんでしたし、それらの人たちが公人としてやったこと以外を書くっもりはありませんでしたので、実名で書くことにしました。自分にあまえをゆるさないために、真剣勝負をえらんだのです。
 ですから本が出版されてからも約一か月間は、名誉穀損でうったえられる覚悟をして、弁護士にも準備をたのみ、緊張してすごしました。ほんとうの事であっても、本人が知られたくないと思っていることを書けば、名誉段損になる可能性はあるからです。
 実際に名誉段損になるかならないかのさかい目は、私がこの本を書いた目的、つまり五十一年度規制にたいするメーカーの対応を明らかにするうえで、これらの真実を明らかにすることが、ぜひ必要であったかどうかという点です。結局、訴訟はありませんでした。できなかったのだと思います。
 本は好評でした。うれしかったのは、だれもがすごくおもしろく、一度読みだしたらいっきに読んでしまうといってくれたことでした。書評にも、「小説よりもおもしろい」というのがありました。事実をならべただけで、小説よりもおもしろいというのは、じつは、私がひそかにねらっていたことなのです。
 私は、作者が、人の心の動きまでいちいち解説する小説よりも、いっそ、セリフだけを積み重ねていくドラマ(戯曲)のほうが、よほど好きなのです。現実の私たちの生活というのは、解説なしで、事実とセリフがポンポン投げっけられてきて、私たちは、それを投げかえしながら、自分たちで大きな人間喜劇を演じているように思うからです。
 五十一年度規制をめぐる攻防というのは、当事者にとっては、まさに息づまるようなドラマでした。ですから、もし事実をうまくならべていけぱ、読者にも、ドラマの緊迫感とおもしろさを味わってもらえるはずと考えたのでした。
 この本は、魔女裁判よばわりにたいする、決定的な解答になったようです。以後、そういう非難は聞かなくなりました。技術的可能性をうたがう人も少なくなりました。自動車専門委員会は委員が全部入れかわって、新しいメンバーで、技術的可能性の検討をやりなおしているということが伝わってきました。
 同時に、学者としての私にたいする悪評も高まっていきました。一年ちかくも排ガス間題にかかわっていたため、研究のほうがそれだけおろそかになっているのですから、ある程度の悪評はやむをえないのですが、いちばん身にこたえたのは、「自分で排ガス規制の技術を開発することもしないで、メーカーに排ガス規制を要求するのは、工学部の人問がとるべき態度ではない」という批判でした。
 ひとりの人間がなんでもできるわけではないし、また、技術がなけれぱ発言できないということであれば、かえって技術は停滞することは明らかだとは思うのですが、研究者である私には、手きびしい批判でした。
 私はすでに、窒素酸化物が人間の健康にあたえる髭響について、柳沢君と一緒に本格的な研究をはじめていました。これは、メーカーのいう、窒素酸化物にかんする日本の環境基準はきぴしすぎる、という批判を検討するためでした。
 私たちは、医学の分野にふみこんで、この間題にかんする疫学的な研究データを、みんなしらべなおしました。そして、この問題について信頼できる結論をえるには、一つの測定値で・何百人の被曝濃度を代表する従来の方法には無理があり、個人個人の被曝濃度を正確に測定する必要がある、という結論にたっしました。
 そのための測定器の開発を一生懸命やって、やっとフィルターバッジという画期的な測定器のアイデイアをつかんだところでした。
 ちょうどこのころ、三重県津の裁判所からよびだしかかかりました。四日市の港に硫酸を流した例の事件について聞くから、証人として出廷しろということです。
 裁判官、検事、弁護士のほかは、被告人ふたりと、証人の私だけという、小さな法廷でした。被告は前工場長と、元工場長です。私は被告人の背中を見ながら証言しました。
 私は検察側の証人で、最初の日は検察側の質間です。私は三つのことを証言しました。
 第一は・この会杜の当時の排水と同じ組成の溶液を海水でうすめていくと、pHがどう変化するかという実験結果、第二は、排水口からでた排水が、海面にひろがるにつれてどんなにうすまっていくかという拡散法則、第三は、この二つを組み合わせると、この会杜の排水口から半径一〇〇メートル以内の海面は、pH四以下の酸性海域であったと推定されるということです。
 証言が終わったあと、検察官と少し雑談しましたが、この時ちらっと聞いた話では、私の推定は、当時の海上保安庁のpHの測定結果と、おどろくほどよく一致しているということでした。私は長い試験のあと、やっと合格点をもらったような気になりました。
 つぎの法廷は一か月後で、今度は弁護側の反対尋問でした。ロヅキード裁判も担当しているという、きれものの弁護士がひとりで反対尋問を担当し、検事正をへて退職したという陪席弁護士は、こわい顔で現職検事をにらみつけていました。
反対尋問は、第一に、私が田尻さんとしたしく、田尻さんに依頼をうけて、田尻さんがのぞんでいる内容の証言をしたということを裁判官に印象づけようとしているようでした。
 これは失敗でした。私は田尻さんととくにしたしいわけでなく、誕言の内容は、実験や理論の結果なので、たのまれても変えようもないものだったからです。
 第二は、少しややこしい問題で、私が自然現象にはいつも変動がつきもので、そのため私たちは平均値は予測できても、確定的なことは予測できないとのべたことをとらえて、確定的に予測できないなら、予測ができないということではないか、とせめたててきました。
 また、岩国やひうち灘や田子の浦で調査した結果から、なぜ四日市のことが云々できる
のかとも、はげしくせめたてられました。
 こういうことは、弁護人はよくわかっていていっていることですから、弁護人に説明してもしようがありません。裁判官によくわかるように説明しようとするのですが、弁護人は、自分に有利なことばだけを引きだすと、それ以上は私にしゃべらせないようにするのです。ですから、最初に弁護人の質間の真意を見ぬかないと、たちまち不利な印象だけあたえておしまいになってしまいます。
 そういう意味で、朝十時から五時までの法廷は神経がはりつめて、つかれました。五時に終わってやれやれと思ったら、弁護人がさらにまた一日の反対尋問を要求し、これを認めて閉廷となりました。
 この事件の証人に出廷というのも、私の悪評に輸をかけました。この事件は、公害事件唯一の刑事事件で、被告はふたりとも、東大の出身者でした。それを東大の現職助教授の証言で、決定的不利に追いこんだのですから、従来の日本の常識からは、まさに非常識な行為だったのでしょう。
ある日突然、私は先輩からよびだされました。

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