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冒険する頭 新しい科学の世界
私の転機都となった日

 私の転機となった日
 先輩の忠告                  
 ホテルのカクテルラウンジで会ったその先輩は、ひどく顔色が悪く見えました。
 「うん、ちょっと体の具合がよくない。あす医者に行こうと思っている。そのまえにちょっと君に伝えておきたいことがあったんでね」
「どちらが悪いんですか」、というような私の質問をかるくさえぎって、先輩は意を決したように、ぽつりといいました。
「公害の研究はそろそろおしまいにしたら。みなさんが心配しているよ」
 私は頭をガーンとなぐられたように感じました。しかし、まったく予想しなかったことではありません。いつかはいわれるだろうと覚悟はしていたのです。
 私たちの大学には、正式な公害の研究室はなく、私が公害や環境の研究をやっているのは、いわば私ひとりの判断でやっているわけですから、それをこころよく思わない先生は多かったのです。
 同時に、どんな研究をどう進めるかは、最後は大学人の自主的判断にゆだねられている問題であるので、はっきりという人はいなかったのです。
 先輩は私のことを考え、みんなのことも考え、ぎりぎりのところで心からの忠告をしてくれたのだということはわかりました。
 この先輩のことばにたいしては、「わかりました」というか、「それは私自身の問題ですから、かまわないでください」とつっぱねるか、一瞬のうちに考えて答えなければならな
いのです。
「大学では、学問の自由こそなによりも重視しなければならないと思います。大学の研究が杜会的な圧カによって中断されたり、方向をねじまげられたりしたら、いったいだれが真理を守ることができるのですか。ご忠告はありがたいと思いますが、大学人の義務の観念からそれに従うことはできません」
 こう答えるのがもっとも簡単だろうと思いました。
 しかし、こういう考え方は、十分承知していて、自分でもそれを尊重していながら、あえて私に忠告をしている先輩にたいし、こういうことはいえませんでした。
 大学では、古い学問が大きな権威をもっていて、新しい学問が育つのは容易ではありませんが、この先輩は、この古い体質の大学の中に、新しい学問をやるグループをつくりあげ、新しい学問を育てていくのに、大きな貢献をした人でした。
 私はこの先輩にむかって、「学問の自由」の旗をふりかざし、忠告をおことわりする気にはなれませんでした。実際に学問の自由だけあっても研究はできないからです。研究には、なんでもしらべられる図書館、さまざまな測定装置、いろいろなことを能率的に処理してくれる事務室などが必要です。
 大学ではこのようなものは、自分たちの予算をだしあって、自分たちの手で維持管理しています。ですから、たとえひとりでやったように見える研究でも、まわりの人の好意ある協力や援助がなかったら、とてもできないのです。
 もし私が、ここで一歩もゆずらずに、かたい姿勢をたもち、結果的に、まわりの人びとに迷惑をかけたとすると、研究をつづけていくのに必要な、好意ある協力や援助をえることがむずかしくなり、結局研究ができなくなってしまうでしょう。

 私ががんばることが、なぜ人に迷惑をかけることになるかというと、一般に杜会からある人にたいし圧力がかかっている時、その人が正しい理由をもってそれをはねかえすと、つらいのは、その人よりも、むしろそのまわりにいる人たちであることがよくあるからです。
 それでは、まわりの人たちもその正しい理由ではねかえせばよいじゃないかということになりますが、正しい理由というのは、かならずしも一つとはかぎらないのです。一般に、一つの正しい理由だけを完全につらぬこうとすると、ほかの正しい理由が成りたたなくなってしまいます。
 ところが、大学のような組織にしても、会杜や政党のような組織にしても、人間のつくるものは、いろいろな理由が同時にみたされるから存在しているので、たった一つの理由だけしかみたされないように純化したら、かならずつぶれてしまいます。
 完全に合理的な組織、完全に理性的な制度は、存在することができないといってよいと思います。存在するものは非合理的だといえます。
 しかし同時に、理性あるものとして人間は、非合理なものの存在を許しておくことができないのです。非合理だとみんなが思うような組織・制度も、また存在できないのです。
 純粋に合理的なものも、純粋に非合理的なものも存在できないとすると、いったい、存在しているものというのはなんでしょう。
 とにかく人の組織には、そう簡単にわりきってはいけない問題が多いのです。
 といって、公害の研究を自分からやめてしまう気にはなれませんでした。公害の研究は、だれかにたのまれてはじめたわけでもなく、自分たちがそれまでやってきたシステムエ学の、新しい発展段階として取り組んでいることだったからです。
 まわりから見たら、システム工学本来の仕事をやればよいではないか、ということでしょうが、私たちにすれば、それは学問的に後退以外のなにものでもありませんでした。
 それも、目的があっての後退ならばよいのですが、人からいわれたからといって、意味もない後退をするのは、自殺行為だと直感しました。
 数年間やったことが、まったくむだになるのも痛手ですが、それ以上に、みずから誇りを失い、気持の張りを失い、人の信用を失い、精神的におちこんでいくのが予感できたからです。
 進むことも退くこともできないことはあきらかでした。
 環境の研究もここまでかなあと思うと、この数年間やった研究か、みんな思いだされました。
 と同時に、常識的な助教授のコースからはずれて、少し変わった道を歩きだすきっかけになった、あの日のことが思いだされました。紛争派から闘争派に変わったあの日のことです

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