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冒険する頭 新しい科学の世界
私の転機となった日

 私の転機となった日

 思わずあがった手

 それは、まちがった学生処分の撤回を求めて、総長室のまえに座りこんだ学生を、大学側が機動隊を導入して追いだした直後のことでした。
「大学が警察をよび入れた」、「そして学生を追いだした」というニュースは、今までこの問題に無関心だった学生の心に、いっきょに火をつけました。二〇〇〇人以上の学生が東大の時計台の前に集まって、大学の機動隊導入に抗議し、これについて、総長がすなおに自己批判するよう求めました。
 大学の中は騒然となりました。学生は総長が出てきて、直接学生と話し合ってくれることをのぞみました。
 総長との話し合いがようやく実現することになった時、学生たちは大きな期待をもって時計台の下にある安田講堂に集まりました。学生たちは、総長がみんなの前に出てきてくれたということだけで感激していました。
 学生にとって、総長は雲の上の人で、総長と直接話し合うなどというのは、前例のないことだったからです。
 しかしこの感激が、失望から、不満、いらだちに変わるのには、一時間を必要としませんでした。学生たちが学問をするものに期待していた、自信、すなおさ、誠実さが、総長の態度の中に見いだされえなかったからです。
 総長の説明は、どれもこれも歯切れが悪く、明らかにいいのがれをしようとしているかに見えました。学生は、総長がひとこと、機動隊の導入はまちがいであったといってくれることをのぞんでいたようです。
 しかし、ついにこのことばは聞かれませんでした。誠実な理性的対応を大学に期待していた学生たちは、大きく失望しました。学生の大学にたいする不信は、急に増大しました。大学側に反省を求める集会が、あちこちで開かれるようになりました。
 私の転機になったのも、このような集会の一つです。私たちの学科でも、学生のよぴかけで、機動隊導入問題を考える学生と教授の合同集会が開かれました。
 そのころ助教授になったばかりの私も参加し、部屋のうしろのほうに座りました。集会では、学生が大学の自治と学問の自由について、つぎつぎと発言しました。
 教授たちに大学の自治についてわかってもらおうと思って、いろいろ発言しているのでした。教授でも、ことに理科系の教授たちは、大学の自治というような問題には、それまでまったく無関心だったからです。
 話はつぎに機動隊の導入をどう考えるかという問題にしぼられてきました。学生たちの発言がしばらくつづいたあと、突然議長が
「今度は先生方のご意見をうかがいたい」
 と発言しました。だれも手をあげません。長い重苦しい沈黙がつづきました。
「ぜひ先生方のご意見をうかがいたい」
 もう一度議長がいいました。その時、私の手がスッとあがっていたのです、そして、気がついた時は立ちあがっていました。
 なにをどういうかということは、全然頭の中でまとまっていませんでした。それでも、大学は機動隊の導入を自己批判すべきこと、処分については審査をやりなおすべきだ、という意味のことを発言しました。
 私は、おおぜいのまえで立って発言するという経験がほとんどありませんでしたから、声もふるえていたようにおぼえています。ここまで話した時、まえのほうに座っていた教授のひとりが、いきなり立ちあがって、くるリとうしろをふりかえると、私にむかって注意しました。
「西村君、そういうことは教授会でいいなさい」
 この先生は、助教授の立場にあるものが、学生のまえで大学を批判するような発言はすべきでないと思ったので、思わずそのような発言をしたのだろうと思います。
口にこそださなくても、他の教授もみんな同じ意見だったのでしょう。そういうことがわかっているので、若い助教授たちは、とても口が重かったのです。
 私だって、手をあげるまえにもう一度よく考えたら、手はあげなかったでしょう。教授会で私が発言できなかったのも、そういう理由からでした。今回は考えるまえに手があがっていただけです。
 注意されると、かえって落ち着いてしまって、発言をつづけて席に着きました。
 こうして私は、思わず一歩柵の外へふみだしてしまったのです。しかしこれは、元にもどれない一歩でした。無理に元にもどすためには、出席者のひとりひとりをつかまえて、自分の発言を取り消し、大学のやり方にはなんのまちがいもないと、心にもないうそをいってまわらなければならなかったでしょう。
 一歩でたから一歩もどればよいというものではないのです。一歩をもどすためには五歩も一〇歩ももどらなければならないのです。それがいやで放っておけば、たった一歩はみでた人でも、一〇歩はみでた人と同じように柵の外としてあつかわれるのです。
 どうせ柵の外としてあつかわれるのならと、たちまち大きくはみだしてしまう人もいますが、たいていは柵の外を一度も経験しなかった人たちです。柵の外でも、やはり、一歩でたら一歩もどればすむわけではないからです。
 私はその点慎重で、一歩ふみでたあとも、安易につぎの一歩をふまないようにしてきました。研究を積み重ねていった結果の結論で、どうしてもやむをえない時だけ一歩でるということにしていました。しかしそれでも長いあいだには、柵からだいぶ離れてしまったようです。
 しかしよく考えてみると、あの日、思わず手があがらなければ、ついに柵をこえるということはなかったでしょう。そして、かなりラディカルだが、常識的な助教授の枠の中にとどまっていたろうと思います。
 一歩ふみだしたあとここまでやってこられたのも、いろいろな幸運と、偶然が作用していたのでしょう。悪いことをしてきたわけではないにしても、いろいろな人に、そうとうに迷惑もかけてきたことでしょう。
 そう考えると、ここにきて急に、学問の自由だけをもちだして、自分の現在の立場を絶対化するのは、あまりフェアではないことを感じました。
 そこで先輩に答えました。
「わかりました。しかし一年間の猶予をください」
 とりかかった研究をまとめるのに、一年間は必要でした。その後のことは考えられませんでした。

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