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冒険する頭 新しい科学の世界
私の転機となった日

 私の転機となった日

 一年問の大きな変化

 こうして思いだしてみると、ずい分ジグザグとした人生でした。むだといえばむだかもしれませんが、それはさけようのないことでしたし、それがすぺて積み重なって、現在の私があるのですし、今後の私もあるのでしょう。こういう経験にてらしてみると、今回のことは、特別に深刻になるほどの問題ではないと思えてきました。
 いろんな事情を考えてみると、あと一年で公害の研究からはなれることになってもやむをえないなと思いました。今までけっこうよくやってきたほうではないか。あとをつづける人はきっといるにちがいないと自分にいい聞かせました。
 しかしその後の一年間におこったことは、その時にまったく予想しなかったことでした。一九七三年におこったオイルショックと、それにつづく不景気の影響で、公害問題・環境間題にたいする世間一般の関心は急速にさめていきましたが、この問題にたいする学生の関心はいっこうにおとろえないどころか、かえって高まっていくようすさえみえました。
 私の全学ゼミには、ますますおおぜいの学生が集まるようになりました。しかも、やる人の気持がちがってきました。以前は、世の中で環境間題がさわがれているので、関係ありそうなこのゼミナールをちょっとのぞいてみようかな、という人もいたのですが、今は、大学にはいる前から環境問題を研究したいと考えていて、大学にはいったらこのゼミがあることを知り、飛びこんできたという学生もふえてきました。
 なぜこの問題に関心をもったのかと聞くと、中学生のころいろいろなニュースを聞いて関心をもった、そして自分たちでも科学クラブで水質汚染の測定をした、大気汚染の測定をしたという人がほとんどでした。
 また、公害というものを身をもって知っていました。公害病の認定患者だという学生がいました。地方から東京に出てきて下宿したら、自動車の音がうるさく眠れないので頭にきますという学生もいました。こういう学生たちですから、たとえば住民から自動車騒音の問題を調べてほしいとたのまれると、専門家もおどろくほどの調査研究をしました。
 この全学ゼミは、大学一、二年生のためのものですが、全学ゼミで二年間環境問題を研究してから、私のいる化学工学科に進学してくる学生もふえてきました。そして卒業研究で環境の研究をやり、さらに大学院に進学して、環境の研究をふかめるという学生が何人もでてきたのです。
 当然、私たちの環境の研究も本格的なものになり、飛躍的にレベルがあがってきました。はじめのうちは、門外漢が専門家のグループになぐりこみをかけるというおもむきもあったのですが、しだいに専門家のグループと、がっぷり四つに組んだ勝負をするようになりました。こういうことを通じて、私たちの環境研究にたいする専門家グループの評価も高まってきました。
 また、化学工学科の中でも、環境の間題を研究する人がひじょうにふえてきました。教授の中で、環境の間題にまったく関係していない人は、ほとんどいないほどになりました。
 化学工学科への進学生をみても、環境問題に関心があって進学してくる学生が半数ちかくにたっするようになりました。
 これには、隔世の感がありました。以前私が、平泉君、田中君、熊谷君の四人で、ほそぼそと研究をはじめたころは、卒業研究に環境の間題をやらないかとすすめても、逃げてしまう学生が多かったのです。
 長ぐつをはいて泥を取ったりしているのでは、研究らしい研究に見えなかつたのでしょう。卒業論文のあとがきに、「このような研究が自分にとつてはたしてどれほど意義をもつたかわからない」ということばを残して去っていった学生もありました。しかし、しばらくして気がついてみると、彼もまさに私たちが実行していた方法で、環境の研究をはじめていました。
 環境の研究というのが、一つの大きな流れになっているのでした。ひどかつた環境もかなり改善されていきました。たとえば、以前は飛行機から見ると、ま黒いスモッグにすっぽりつつまれていて、恐ろしいような状態だった東京の空がきれいになり、富士山や筑波山が見えるようになりました。パルプ工場と化学工場の廃水で、ほとんど死の海となっていた岩国の海も、見ちがえるほどになりました。
 自動車メーカー各杜は、自分たちであれほど技術的に無理だと主張していた排ガス規制対策車の開発に成功し、きそって売り出すようになりました。この研究開発には、大きなおまけがつきました。排ガス量の少ないエンジンは、じつは、ガソリンの消費量の少ない、すごく良いエンジンでもあったのです。
 ちょうど、ガソリンの値段が何倍にもなった時期ですから、この新しいエンジンを積んだ日本の自動車は、アメリカでもヨーロッパでも飛ぶように売れました。あまり売れすぎて、貿易摩擦という問題をおこすほどになりました。
「日本の自動車メーカーは、おまえに感謝状を出さなきゃいかんよ。おまえが自動車メーカーにあのむずかしい宿題を無理にやらせたものだから、日本の自動車技術が飛躍的に進歩したのだからな」
 私は、自分が卒業した機械工学科の同窓会で、自動車メーカーの友人からこんなじょうだんをいわれるようになりました。
 公害問題、環境問題にたいする企業の態度も変わってきました。
 トヨタ自動車は、おもに環境問題の研究を研究費の面で援功するために、財団をつくりました。このころ、私は柳択君と一緒に発明したフイルターバッジを使って、二酸化窒素の健康への影響を科学的に決定的に立証する研究計画を持っていました。しかし、一〇〇〇万円以上の研究費が必要なので、実現できないでいました。
 そこで、この新しくできたトヨタ財団に研究費の援助をたのんでみたのです。研究計画には十分自信がありました。しかし内心では、あの時、あれだけトヨタをとっちめたのだから、断わられても無理はないと思っていました。ところが、あっさり研究費がもらえることになったのです。
 このようにいろいろなことが一年間にありました。
 環境問題の研究が、化学工学科の重要な研究分野になった以上、私がその分野から急に身をひくことはむずかしい状勢になりました。その必要もなくなったのかもしれません。
 しかし私は、先輩と約束したことでもあり、自分で決めたことですので、ふたたび新しい分野にむかって出発することにしました。
 今度の分野は、微生物の利用です。公害の原因をなくすために、微生物の働きを利用することです。化学工業でいろいろな物質をつくる場合に、酸やアルカリや重金属をつかうかわりに、微生物の微妙な働きをうまく利用するようにすれば、公害をまったく出さない工場を実現できるかもしれません。
 このことを実現するには、生命現象をふかく研究することが必要です。研究を進めていく上では、遺伝子であるDNAを切ったりはったりする遺伝子操作もやる必要があります。この分野をライフサイエンスとか、バイオテクノロジーとかいいますが、私はその方向にむかって走りだしています。
 新しい島にむかつて船を走らせているところです。そろそろ島のくろぐろとした森が見えてきましたが、とても奥がふかそうです。うっかりはいったらたちまち迷子になってしまいそうです。
 どうして道をみつけていくのか、今までとまったく同じ方法でいけるとは思いませんが、基本的にはこの本でお話したような考え方とやり方で進むつもりです。
 なによりも冒険する心と頭で。

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