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冒険する頭 新しい科学の世界
全学ゼミの開講

 全学ゼミの開講
 ほんとうの勉強とはなにか         

 四月になって本郷かいわいの桜が静かに咲いて静かに散り、少しほこりっぽい風のふく日がつづくと、新学期の授業がはじまリます。
 私は工学部の授業のほかに、全学ゼミナールといって、新入生と二年生を対象にした授業を一つもっています。
 ゼミナールのテーマは、「環境問題研究法入門」です。きょうはその開講日です。
 教室には四十人ぐらいの学生が待っていました。
「私がこの授業を担当している西村です。きょうはこの授業のねらいと、なにをどうやるかを説明しますから、この授業をとるかどうか決める参考にしてください。この授業のねらいは、君たちが環境間題を自分の手で研究するのを手助けし、指導することです。ですから、講義を聞くだけで環境問題をてっとりばやく勉強しようとしている人はどうぞお帰りください。
 自分で関心をもっている問題があって、研究してみたいという人は残ってください。つまり、えさをもらうブロィラーがいやで、えさを自分でさがすにわとりになりたい人のためのゼミナールです。
 といっても、大学にはいりたての自分たちに研究なんかできるかなという顔をしてますね。たしかに一般論としては無理です。専門的分野の研究をするには、君たちは、まだこれから五年から十年の勉強が必要です。分野によってはそれでもたりないかもしれません。専門の研究というのは、アインシュタインや湯川博士が研究していたころとくらべて、比較にならないくらい、むずかしく複雑になっているのです。
 とくに生物学がそうです。ワトソンがDNAの二重らせん構造を発見したころは、ずいぶんのんきな時代だったようです。
 研究というのは、どんな場合も、今まで人のやらなかったことをやることですから、研究をやるにはまず、人のまえにでなければなりません。ハイウェイのように、みんなが走っている時はたいへんです。自分はもっとはやく走って列の先頭にでなければなりません。
いくら走っても追いつけないかもしれません。
もし追いついてもそれからがたいへんです。研究はそこからはじまるのですから。そして追いつくのと研究するのとでは、まったくちがう能力が必要なようです。追いつくには、ブロイラーのようになんでもすばやく吸収してしまう人がよいし、研究するには、野生のにわとりみたいに、がんこな人、がよいからです。
 二つをかねそなえている人は少ないですね。ですから、追いついてもそれからさき追いぬくには、なにをやったらよいかわからない人が多いのです。私はこの二つの能力をバランスよく育てていくことがとてもたいせつだと思います。ブロイラー教育をうける機会はほかにたくさんあるわけですから、ここでは、にわとりを育てようというわけです。
 にわとりになるためには、まず人のいないところまででなけれぱなりません。それには、人と同じ道を走っていたのではだめです。とくに専門家と同じ道はいけません。みんなが走りたがるハイウヱイをおりて、自分でまだ人が通ったことのないおもしろいルートを見つけましょう。
 そんなことが可能かということですが、可能だと思います。専門の研究というのは、とても人間の関心のすべての分野をおおっているわけではないし、かりにおおっていても、それはすごいかたよりをもっているからです。
 専門家は専門研究として認められることしかやりませんが、専門研究として認められるのは、専門家が見ておもしろいと思うものに限られるのです。それはしばしば重箱のすみをつつくような問題です。もっとひろい人間的な関心から見てたいせつなもの、興味あるものがあっても、専門研究の対象にならない場合が多いのです。
 これは環境間題ではとくに顕著です。環境問題の研究とは、少し格好をつけていうと人間の生存にとって環境がもつ意味と影響を明らかにするはずのもので、自然と人間と杜会にかんする学問をひろく総合した研究です。
 しかしこれでも、専門家の手にかかると、重箱のすみをつつくような話にしかならないのです。もっと本格的な総合的な環境問題の研究をおこなう人は、まだあらわれてはいません。たとえば、環境の人間にたいする影響といえば、少なくとも物理、化学、生物、医学にまたがる研究になりますが、そんなにひろい知識と能力をもった専門家はいないのです。
 ではどうするかということですが、ひろい分野をすべて勉強してから研究をはじめるわけにもいきません。どんな専門家でも、研究をはじめてから必要に応じて勉強していくのです。どうせ勉強するのなら、君たちだって同じことです。君たちと専門家のちがいは、全部勉強しなければならないか、一つ手がぬけるかのちがいでしょう。
 それに研究がうまくいくかどうかは、半分以上、研究のねらいにかかっています。これはある程度はセンスの問題です。センスという点では、君たちは、専門家にひけをとらないはずです。重い荷物を背負っている人より君たちのほうがよく見えるからです。
 今までにも君たちの先輩には、そうとうな成果をあげた例がいくつかあります。
 たとえば、自動車の騒音が住民にあたえる影響をしらべたグループがあります。
 不眠症になやむ住民から依頼をうけて、調査をはじめたのがきっかけでしたが、日本でもはじめての、騒音の三昼夜連続測定をやりぬいたあと、騒音の心理的影響から、住民運動の心理と力学までしらべました。この成果は、『裁かれる自動車』(中公新書)という本にまとめられています。
 ある都市の河川の汚染の問題を徹底的に研究した連中もいます。そして川は、たんに水が流れる場所というだけではなくて、うるおいのある景観をつくりだす舞台装置だということを発見し、川を浄化できる河川公園を設計して発表したのです。
 これはおしくも実現はしませんでしたが、市民からずいぶん大きな支持がありました。この研究の概要は、『トイレツトからの発想』(ブルーバックス)という変な名前の本にでています。
 このほかに、住宅地域にスーパーが進出する計画をめぐって、住民の反対運動がおこっている街で、スーパーの進出による環境の変化を予測した人びともありました。じつはこれは私の街で、私もその反対のひとりだったのです。学生たちは、はじめ専門家に相談にいったら、君たち学生にとてもそんなことはできるわけないよといわれたのですが、がんばってひじょうによい研究をしました。
 たとえぱ、店やショッピングエリァがいくつもある時、主婦はどこに買いものにいくかを、一〇〇人あまりの主婦から家計簿を借りて研究したのです。その結果が下の図です。

そこに買いものにでかける確率は、所要時間の三乗に逆比例し、売場面積に比例することがわかったのです。
 またいろいろな店で、つぎつぎ店にはいってくるお客さんをっかまえては、どこからどういう方法で来店したかを聞きとり、自転車でくる人はどういう人か、自動車でくる人はどういう人かモデルをつくりあげたのです。この聞きとりは、みつかれば店の人にはおこられるし、いやなお客もいるし、心臓のいる仕事らしいですよ。
 ともかく、これを使って、この地域にスーパーをつくると、どれだけの人が自動車でくるか、そのためにはどれだけの駐車場が必要かを予測したのです。たしか三〇〇台分必要ということでした。
 これにたいし、スーパーが用意したのは一〇〇台分でした。学生たちはその根拠について、スーパー側と公開討論する自信がありましたが、スーパーはついに応じませんでした。そして実際にスーパーが開店してみると、学生の予想が正確だったことがわかりました。スーバーは、あわてて少し駐車場をつくりましたが、とてもたりず、この街に住んでいる私たちは路上駐車でたいへん迷惑しているのです。

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