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冒険する頭 新しい科学の世界
(続)全学ゼミの開講

 (続)全学ゼミの開講


 総合的にものを見る目


 さらに学生たちは、大気汚染の調査をして、その結果をもとに、自動車がふえた時の大気汚染の予測までやりました。
 学生たちはこれだげの仕事を休みの期間を使って四人でやりましたが、専門家にはとてもこれだけの仕事ができる人がいないのです。実際、企業側は交通量の予測をある大学の交通の先生にたのんだのですが、先生がやったのは現状調査だけでした。
 予測となると、どこからどれだけの人が買いものにくるかという、マーケティングの問題ですから、交通の専門家はタッチしないのです。マーケティングの専門家は、お客がどんな手段で来店するか、道路の容量はたりるかということはわからないし、知ろうともしないのです。
 つまり、専門家の関心はひじょうにせまくばらばらなのです。これにたいし、学生の関心は、スーパー進出の影響という一つのものでした。この目的のために、必要ならぱ、そ-れがどんな専門であろうが、学生は頓着することなく勉強し、研究したのです。
 人びとの関心という目でみれぱ一つのものなのに、専門の目で見ると、ばらばらな領域に分解されてしまい、話がややこしくなるばかりで、解決の見通しを失ってしまう場合が多いのです。
 人間の関心はいつも総合的なものなのに、専門家は、総合的にものを見ることができなくなっているのです。ブロイラーが自分でえさをさがせないようなものです。
 ではだれが総合的にものを見ることができるか。それは、実際に自分で仕事をしている人です。たとえぱ、商売をしている人、経営をしている人の中には、時どき、すぐれて総合的な視野をもった人がいます。住民運動のリーダーの中にも時どきそういう人を見かけます。
 総合的な視野と考え方は、たくさんの本を読んで身につくといったものではなくて、なにか目的をもって一つの事を実践する中で身につくのだというのはたしかだと思います。ですからこのゼミでは、研究テーマをえらぶ時、学問的関心だけからテーマをえらぶことはしません。だれかがなにかで困っているとか、人はまだ気がついていないけれど、間題になりそうだという実践的関心からテーマをえらびます。住民運動からでてきた問題などがよいのですが、いちばんいいのは君自身が実際に経験している間題です。
 というのは、このゼミでは、君たちが考えたり発言したりする時、とことん具体性を要求するからです。どんな仮説をいだいてもよいが、実証する努力を要求するからです。
 たとえば、『公害に苦しむ住民』という表現は、認めません。だれが、なにが原因でどういう苦痛をうったえているのかのべてください。『カップラーメンの容器から発がん性物質が溶け出る』と心配する人は、ガスクロマトという分析機器の使い方を教えますから、分析してしらべてください。
 実証的、実践的、具体的というのが、研究をするのにいちばん大事な態度ですから、このゼミでぜひこれを身につけてほしいと思います。学生諾君の語を聞いているとすぐ、『ようするに』という人がいますが、これは本の中から要領よく要点をまとめる勉強ばかりしてきたせいだと思います。よい研究者はけっして、『ようするに』などといいません。具体的に考える人は、『ようするに』などということばは口にしないのです。
 以上がこのゼミのねらいと性格です。ここまでのことでなにか質問がありますか。ないようでしたら、では最後にちょっと自已紹介します。
 私はもともと環境問題研究の専門家ではありません。だいたい工学部には昔も今も、公式的には環境問題を専門的に研究する研究室はないのです。私のほんとうの専門は、化学工業におけるシステムエ学です。コンピュータを用いて化学プラントの設計をするのが仕事です。
 その私が今、なぜ、環境間題を研究しているのかというと、システムエ学というのは、総合的な学問ですから、どこからどこまでが化学工業の問題という垣根が本来ないからです。以前は化学工場の塀の中だけ考えて設計ができましたが、今は、それが影響をおよぼす環境のことを知らなければ、設計もできないからだと申しあげましょう。
 これにたいして、それにしても本来の専門から少しはみだしすぎているという批判があります。私も内心、じつはそう思います。化学工場の設計に必要な環境のデータなら、環境の専門家にまかせておけばよいのかもしれません。私が環境間題をやつているのは、なにより科学者としてやりがいのある問題と感じているからです。
 しかし大学といえども、やりがいがあるからといつて、かってに自分のやりたいことが研究できるわけではありません。自分の専門というのがちゃんと決められていて、かつてにそのわくをこえることは許されない雰囲気があるからです。
 私はその決められているわくを少しこえてしまったのですが、それは東大紛争というのがきっかけでした。
 東大紛争といっても、君たちはほとんどなにも知らないだろうげれど、一九六八年、学生のストライキのために、ほぼ半年問、大学の機能がまったく停止し、入学試験もできなかったことがありました。戦争中でさえ、授業を中断したことはなかった東大ですから、たいへんな事件でした。
 この東大紛争がなんであったかという評価は、見る人によってまったくちがつてきます。この事件から本質的に影響をうけなかった人から見れば、ばかな学生のために、貴重な研究の時間が失われたいまいましいナンセンスな事件でしょう。
 しかしそう見るのは、当時すでに四十をこえていた人たちで、それより若い世代の中には、深刻な影響をうけた人たちが数多くいます。それは東大の中に限りません。影響をうけたわけではないが、その意味を深刻にうけとめた人となると、その数はさらに多いでしょう。
 私もそのひとりです。そういう人間にとって、東大紛争は、けっしてナンセンスな事件ではなく、一つの大きな思想的事件でした。私の率直な感じでいえぱ、それは、思想的影響の上では、一九四五年の終戦につぐ大きな事件でした。
 日本の思想的戦後というのは、東大紛争後に本格化されたと思います。それは、伝統的な見方から見て、けっしてよい方向に展開したわけではないので、古い人たちは、右も左も東大紛争後の思想状況には否定的な評価をします。しかし、いろんな意味でのしめつけがゆるんだという意味では、思想的な解放が進み、戦後が一段と定着したのだと思います。でも、解放されればみんなが革新的な思想になるかというと大まちがいで、かえって保守化したのが現実です。
 しかし、この解放の機会をとらえて、それまでにできなかったことをやりだした人は多いのです。現在目本の活力の重要な部分をささえているのは、この人たちではないかと思います。私も、東大紛争で二年も三年も苦しまなけれぱ、こんなだいそれた転進をすることはなかったと思います。
 この全学ゼミナールというなかなかよい制度も、東大紛争の中から生まれたものです。
 東大紛争のことはまた機会があったらお語しましょう。とにかくきょうはこれでおしまいにします」

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