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システム工学とはどんな学問か

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 問題の解決のための学間

 環境に応じて、生活しやすいように生物の形が変化することを進化といいます。遊泳性の鳥では水かきが発達し、水辺の鳥類は脚と首が長くなるというようなことです。これにたいする正しい説明は、生物学者ダーウィンの進化論によってあたえられましたが、ダーウィンのまえに、進化の理論を提出した人がいました。ラマルクです。
 彼は、キリンの首が長い、ウサギのうしろ足が長いという事実などから考えて、環境からの要求と動物の意志が、器官の形成発達の原因であると考えました。首をのばそうのばそうとしているから、キリンの首が長くなったというのです。
 どうしてそうなるかというと、動物の体内には神経流体というの.があって、意志のある方向に流れてゆき、組織を太くしたりのばしたりするというのです。これが何回もくりかえされると、器官が発達し、さらにこれが遺伝によって伝えられたのが進化だというのです。この説はもっともらしいのですが、これは想像であって、実験的に証明されたものではありません。
 このように、現象のうらでなにがおこっているか想像し、説明しようとするのが、モデル化といわれるもので、物理学者はモデルをっくってみて考えるのが好きだし得意です。それにたいし、生物学者はモデルを好みません。実証されたことしか信用しないのです。
 ラマルクが物理学者ふうであったのにたいし、ダーウィンは徹底した生物学者でした。「自分はなんの理論もなしに事実をおおがかりに集めた」と自伝でのべています。ダーウィンは、こう考えました。
 人間は、よい種だけをえらびだして残すことを何代もくりかえすことによって、品種改良をやっています。これと同じように、自然も生存競争という形でよい種だけを残し、品種改良をやっている、それが進化だというのです。
 ダーウィンはこのことを自分が集めた数多くの実例で証明し、それまで進化を否定してきたがんこな人まで説得することに成功したのです。ダーウィンの説には、実証されていない想像だけのモデルがふくまれていないのが大きな強味です。その後の生物学の発展は、ダーウインの説が正しかったことを何度も確認しました。
 同じ問題にたいする物理学者ふうの考え方と、生物学者のやり方を比較してみました。この例では、モデルによる物理学の方法はまちがっていたのですが、それは、調査も不十分で、データもない時に、感じだけでモデルをつくってしまったからです。モデルは想像にもとづいていますから、はずれることも多いのですが、データにもとづいたモデルがあたると、すごい力を発揮します。生物学者も最近はモデルなしではやっていげなくなっています。
 メンデルの遺伝法則も比較的わずかな実験にもとづいたモデルですし、遺伝子の実体であるDNAも、はじめはワトソンとクリツクの二重らせんモデルといわれるモデルでした。しかしこのモデルが、最近の生物学の爆発的ともいえる発展にどれだけ役立ったかは、はかりしれないほどです。

 原子とか分子も想像の産物、つまりモデルなのです。実際に原子や分子を、まだだれも見てたしかめた人はいないのです。みなさんの中には、原子や分子の写真を見た人があるかもしれませんが、それはプラスチックでつくった原子や分子の模型の写真なのです。
 現在のもつとも進んだ電子顕微鏡を使って、一生懸命原子を見ようとしている人がいますが、原子を直接見ることには成功していません。ところが、原子をだれも見たことがないからといっても、現代の科学者の中で、原子の存在をうたがっている人はいないでしょう。
 これはちょっと不思議な話です。ふつうは科学者はとてもうたがいぶかい人たちだからです。
 念力でスプーンを曲げる人があらわれても、テレパシーで父親の死がわかったという話を聞いても、現在の自然科学で説明できない超能力とか、超白然現象があるたんて信じない人たちです。
 UFOを見たという人はひじょうにたくさんいて、アメリカにはUFOを研究する会もあるほどですが、まじめな科学者はUFOの存在なんか信じていません。ネス湖の怪獣だってそうです。科学者は自分の目でたしかめたことでないと、信用しないのです。
 では原子・分子だけは、だれも見たことがないのに、なぜだれもそれをうたがわないのでしょう。
 これには長い話があるのです。素朴な形では、原子・分子が存在するという考え方は、ギリシャ時代からありました。それをうたがう考え方も同時にありました。現在、私たちが知っているような形の原子と分子というものの存在をはじめて主張したのは、イギリスの化学者ドルトンでした。
 ドルトンは、水素、酸素、窒素など、気体の反応を調べていて、おもしろいことに気づきました。反応するガスの体積の比が、簡単な整数比になるのです。
 たとえば、水素二体積と酸素一体積が反応して水になリ、水素三体積と窒素一体積が反応してアンモニアになります。こういう事実を数多く集めたのち、なぜ体積比が複雑な数でなく、簡単整数なのかの説明のモデルとして、原子を考えたのです。

 ガスは、見かけ上はとてもそう見えませんが、じつはつぶつぶの原子からできていて、同じ体積の中の原子の数は、ガスの種類によらず等しいと考えたのです。こうすると、反応するガスの体積の比が整数比になることは、簡単に説明できるのです。水素二原子と酸素一原子が反応して水になるなら、体積比は二対一になるはずです。
 ドルトンは、こうして、物質の究極的な要素は、何種類かの原子で、これがさまざまな割合で化合して無数の物質ができると考えました。ドルトンの考えは、分子と原子を区別しなかったという点をのぞけば、現在の立場で見ても、ほとんどまちがいありません。
 原子という「犯人」にかんして、ほんの二、三の手がかりしかなかった時に、どうしてこんなに正確な「犯人」のモンタージュ写真、つまりモデルをつくることができたのでしよう。ドルトンのようなすぐれた科学者の想像力とカンに驚かされてしまいます。
 たとえばガスの種類がちがっても、同じ体積中の原子の数は変わらないというのは、ドルトンの理論の中でもっとも重要な仮説ですが、原子の存在さえ信じない人の多い時、ましてその数など、見当もつかない時、その数が等しいなどということをなぜいいあてることができたのか、不思議な気がします。
 データだけから見ると、こう考えなければならない理由はないのですが、すぐれた科学者には、自然法則という「犯人」の顔はこうにちがいないというするどいカンがあるようです。このカンと想像力によってつくられるものがモデルなのです。
 自然科学は実証科学といわれますし、実際に科学者は、ほとんどの時間を実験と調査に使っていますが、自然科学の内容はなんでもかんでも実験的に証明されたことだけ、データだけからできているわけではないのです。
 自然にかんする私たちの知識のうち、データによってがっしりと固められていることはほんのわずかで、あとはモデルと数学的な論理でできているのです。その割合は、簡単にいうことはむずかしいのですが、たとえば一対一〇ぐらいでしょうか。
 実験データがあれぱ、これをもとにモデルをつくることによって、少なくとも一〇倍ぐらいのことをいうことができるのです。ときには一対一〇〇のことも一対一万のこともあります。まれには、まったく実験データがないのに、モデルと数学だけですごいことがわかってしまう場合もあります。

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