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システム工学とはどんな学問か

 システム工学とはどんな学問か

 科学の仕事

 たとえぱ、アインシュタインの相対性理論もその一つです。相対性理論はそうとうにむずかしい理論ですが、その重要結果はみなさんもたいてい知っていると思います。SF小説などにかならずでてくるからです.
 たとえば、ロケットの速度は、光の速度をこえることはできない、はやく動くロケヅトの中では、時間はゆっくり進む、一グラムの質量をエネルギーに変えると、原子爆弾一個分のエネルギーになる、などがそうです。
 アインシュタインがこれを発表した時、こんなことを直接しめす実験データは一つもありませんでした。だから世界中がびっくりしたのです。アインシュタインはこれらの結果を、モデルと数学だけを使ってみちびいたのです。そのモデルというのは、光の速度は、どんな速度で動く乗りものから見ても一定だという考えです。これは日常の感覚とは矛盾する、たいへん考えにくいモデルです。
 光を新幹線に、ロケットをこれと平行に走る電車にたとえると、電車に乗っている人から見れば、電車の速度によって、新幹線ははやくも見えるし、おそくも見えるでしょう。もし、電車が新幹線と同じ速度で走れば、新幹線はとまって見えるはずです。
 しかし、アインシュタインのモデルは、電車がどんなにはやく走っても、電車から見える新幹線の速度は、とまっている人が観測した新幹線の速度と同じだというのです。これは、たしかに頭がおかしくなってしまうような話です。しかしこのことを認めると、あとは科学者にとっては、比較的にやさしい数学をつかうだけで、相対性理論のおどろくべき結果がつぎつぎにでてくるのです。
 核心はモデルにあるのです。どんな系から見ても(どんな動き方をしている人から見ても)、光の速度は変わらないというのは、アインシュタインのきわめて大胆なモデルで、実験的に十分な裏づけのあるものではありませんが、アインシュタインが、こんなモデルを考えるきっかけになったような観測結果はあるのです。
 恒星は、どれも一年かけて小さなだ円運動をするように見えます。これは走る電車の窓から見ると、雨がななめに降って見えるのと同じ現象で、光行差現象とよばれます。この現象は、宇宙空間には光を伝えるエーテル*という物質が充満していて、地球や太陽はその中を動いていると考えると説明できます。しかしほんとうに工-テルがあるとすると、うまい実験を考えると、工ーテルにたいし地球が動いている速度がわかるはずです。
 そこでマイケルソンという人が、巧妙な実験を考えて、精密な測定をしましたが、不思議なことに、絶対観測されるはずの速度が観測されないのです。この奇妙な現象に関心をいだいた何人かの科学者は、この理由を説明しようとしていろんなことを考えました。
 はやく動く物体はその動く方向にちぢむのではないか、というのがローレンツという科学者が長いことこの間題を研究して得た結論でした。
 こう考えると、光行差の現象とマィケルソンの実験の両方を矛盾なく説明できるのです。これでこの間題が一応解決した時に、アインシュタインの理論がでてきたのです。
 二人の理論のちがいはモデルのちがいでした。ローレンツの、物体がちぢむというモデルは、物理学者にとっては考えやすいもので、いかにもほんとうらしく見えます。これに対し、アインシュタインのモデルは、日常感覚にもとづく直観的理解を超越しています。
 ものごとに合理的な説明をあたえるのが科学だとするならば、これはまさしくナンセンスに見えます。このため、ソ連では、相対性理論は、三〇年ものあいだ、非科学のレッテルをはられ、科学者はそれを勉強することさえできませんでした。ナチスドイツでも同様でした。
 ところが、この二つの理論の意味ということになると、天と地ほどの差があります。ローレンツの理論では、あたえられた観測結果や実験事実を説明するだけですが、アインシユタインの理論では、工ーテルという奇妙なものを考える必要がないだけでなく、質量とエネルギーは同じものだというような、だれひとりとして予想もしなかった結果まででてくるからです。

科学者の仕事は、主として三つの仕事からなっていることを説明しました。つまり、データを集めること、モデルをつくること、モデルからその内容をひきだすことです。第一のデータ集めには調査と実験の二っの段階があります。
 科学者として一人前に仕事をするには、これら三つあるいは四つのことが全部うまくできなければならないのです。しかし実際は、四つの仕事のどれも得意だという人はひじょうに少ないのです。
 調査をうまくやれる人は、だいたい記憶力がよく、ほねおしみをしない人です。実験をうまくやる人は、なにをやっても器用な人で、観察がするどく、工夫のうまい人です。モデルを考えるのがうまい人は、自然現象がどのようにしておこるか、その「わけ」を考えることのできる人です。こわれた機械を見ても、どうして具合が悪いのか原因をつきつめてゆくことのできる人です。
 モデルができたあと、そのモデルがもっている内容をひきだすのは、数学の仕事です。いくらデータがたくさんあって、よいモデルができたとしても、それは植物にたとえれば種のようなものです。これを大きな木にし、花を咲かせてみて、はじめてそれが立派な仕事だったのがわかるのです。種が悪ければ芽もでないでしょう。種を木に育て上げるのが、じつは数学の仕事なのです。
 たとえばみなさんが中学でならうユークリッド幾何学というのは、公理系(基礎になる公理全部をまとめたもの。ユークリッド幾何学は、五つの公理が公理系になっている)という、一見なんの変哲もなさそうな種から育った大木なのです。数学はこのように種を大木に変える不思議なカがあります。
 さきほど、科学というのは実験でたしかめられたことだけを集めたものではない、実験でたしかめられたことの一〇倍も一〇〇倍ものことが、真理として確立されるのだといいましたが、この何倍にもするという働きは、主としで数学に負っているのです。
 したがって数学というのは、科学の研究でひじょうに大事な道具なのです。現在ではどんな分野でも、数学ができないと科学の研究はできないといってよいでしょう。
 しかし数学の得意な人は、頭がよくてさきにのべた三つのことがみんな得意かというと、かならずしもそうではないのです。たとえば、数学の得意な人の中には、記憶力の悪い人、手先の不器用な人、ものぐさな人、知識のたりない人などがけっこう多いのです。
 オペレーションズリサーチチームが、物理学者と生物学者で構成されなければならなか
った理由がわかったと思います。


   *化学でいうエーテルとはちがう想像上の物質。

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