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冒険する頭 新しい科学の世界
システム工学から環境問題へ

 システム工学から環境間題へ
 大学とはなにか              


 システム工学をやっていた私が、東大紛争以降、環境問題の研究にはいったといいましたが、そこらへんのことからお話ししましょう。
 あのさわぎのことを東大紛争という人もいるし、東大闘争とよぷ人もいます。それはその人のうけとめ方をあらわしているのです。ばかばかしい、むださわぎだったと思う人にとっては紛争ですし、意味があると考えて、なにか努力した人にとっては闘争なのです。大部分の人は、なにか意味があるのではなかろうかと考えたけれど、結局なにもしなかったのですが、こういう人もやはり紛争とよんでいるのです。
 大学の教員はごくまれな例外をのぞけば、みんな紛争派でした。.私も教員のひとリとして、はじめは紛争派だったのですが、ある時、あることをさかいにして、地味な地味な闘争派になりました。つまり、従来の大学のやり方を批判し、これをあらためるために真剣な努力をはじめたのです。
 私がとくに努力したのは、大学における学問や研究のあり方をあらためることでした。
 もともと、東大紛争の原点には、大学における学問はこれでよいのかという問いがあったのです。ちょうど、日本が高度成長期にはいって、科学・技術の研究がさかんになった時期でした。研究すべき間題は山ほどあり、いくら時間があってもたりない感じでした。
 私の研究室でも、昼ごはんの時間がもったいないといって、たってごはんを食べながら研究発表をしたり、議論したりしたものでした。研究を能率的に進めるために、軍隊風の管理組織をつくり、仕事をこまかくわけて、学生に割りあて、学生をつかいまくる研究室が多かったのです。
 学生はなにかわけがわからないけれど、いわれるままに実験し、その成果が教授の名で学界に発表され、すぐまた企業にひきわたされるような状態でした。会杜はたくさんの人間を大学に送りこんでいて、会杜と大学のむすびつきが密接だったのです。
 このような研究徒弟制度は、それまであたりまえのように考えられていましたが、おかしいと思う人がだんだんふえてきて、一挙にふきだしたのが東大紛争だったのです。
 学生たちは、科学や杜会のことがもっとよくわかるようになりたいと思って勉強をはじめたのですが、勉強をやればやるほど、視野がせばまって、さきが見えなくなることを感じていました。研究というのは自分の考えで自由にやるものだと思っていたのですが、実際は、研究室の研究の一部を分担させられて、毎日、毎日、単純な作業のくりかえしで、だんだんバカになっていくような気がしました。
 学間とか研究はこんなもののはずではなかった、というのが学生たちの叫びだったのです。
 これにたいし、教授たちには学生たちのいい分はまったく納得できませんでした。学問をならうということはそういうことで、自分たちも先生からいわれた仕事をだまってしんぼう強くつづける中で育ってきた、と思っている人が大部分だったからです。
 助教授たちも、先生からいわれたとおり、しんぼう強く仕事をしてきた人たちが大部分ですが、そういうやり方にたいし、そうとう不満をもっていましたから、学生の気持は、あるていどわかるのでした。しかし、それをおもてにだすのはひかえていました。まちがっても、闘争派だと思われたらたいへんだからです。
 助手たちは、不満も多かったし、学生と年もちかいこともあって、はっきり闘争派を表明し、活動する人もかなりいました。

 東大紛争の期問というのは、こういうさまざまな立場の人が、いろんなグループで集まって、大学における学間研究のあり方を、いやになるほど、くりかえし、くりかえし議論したのでした。議論だけでは決着のつかない問題ですから、最後はたいていケンカになるか、ケンカしないまでも、ふかい感情的対立のしこりを残しました。
 しかしどうあるべきかという議論では、それほど大きな意見の相違はありませんでした。闘争派と紛争派で意見がわかれたのは、では、実際に、あすからどうするかという点です。紛争派は、なにごともできるだけ慎重にことを運ぼうとしました。私は、何事もよいと決まったら、すぐ実施しようという点では闘争派でした。
 しかし紛争派の力は大きく、議論はするけれど、なにも変わらないだろうということは、日ましに明らかになってきました。それならばということで、私は、自分たちの手で、改革できる間題に、努力をむけることにしました。
 私は自分の研究室の中で、よく議論をつくすことからはじめました。
 みんながいちばん関心をもって議論したのは、大学とはなにか、という問題でした。大学とは、最高の学間を学ぶところ、最高の学問を研究するところと考えられています。最高というかわりに、学問の最先端といってもよいでしょう。
 ここから大学の特殊性というものがあらわれてきます。学ぶこと、教えることの意味が、中学や高校とちがってくるのです。最先端の研究とは、未知の分野です。先生さえ答えを知らない分野です。
 ですから学問の最先端を学ぶということは、結果を学ぶことではなく、研究する方法を学んで、自分で研究することです。ここでは、学ぶことと研究することは一致してしまうのです。そして研究をする時は、教授と学生のあいだには、先輩と後輩の関係はありますが、先生と生徒の関係とはちがうはずです。
 こうして、学ぶことと研究することが一体となった場所が大学のはずです。そして研究の指導というのは、一緒に研究することです。研究を探検にたとえれば、長い探検の苦労をともにし、毎日、毎日、つぎにどう進むべきかを一緒に考え、困難な岩場では、何日も絶望とたたかいながら活路を見いだすための必死の努力をともにするということです。
 教授は経験があるから簡単には絶望しないでしょう。そして、なにかうまい方法を思いつくかもしれません。学生は若いから、カで解決できることではたよりになるかもしれません。こういうことを研究の場でやるのが、大学の研究のはずです。そのためには、ほんとうにチャレンジングな問題を研究課題としてとりあげることが、ぜひ必要なのです。
 先生ばかりが手慣れていて、安楽椅子に座っていて、ちょっと指示をだすだけで十分というテーマでは、とても一緒に苦労することにはならないのです。やはり、先生が真剣になって頭をしぼらなければならないテーマを一緒に解決してこそ、一緒にやったという体験ができるはずだ、というのが私たちの結論でした。

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