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冒険する頭 新しい科学の世界
システム工学から環境問題へ

 システム工学から環境間題へ

 メンデルの研究

 では、具体的になにを研究するかはむずかしい問題でした。それまで私は、化学工場、あるいは化学コンビナートの計画にコンピュータを効果的に使う方法をいろいろ研究していましたが、これにたいし、学生たちの中から、つぎのような批判がでてきました。
 つまり、そのような研究はたしかに企業の役に立つだろう。それならばそれは、企業で研究すればよいことであって、大学では、もっと広い視野から、社会や人間のために大事な問題を研究すべきではないか、というのです。
 この批判は私にはそうとうにこたえました。私は学生時代から、日本の大学の研究が、外国の研究のあと追いが多く、実際に役に立つ研究が少ないことをひじょうに残念に思っていましたので、自分ではけっして外国のまねをせずに、実際に役に立つ研究をすることを第一に心がけてきたからです。
 その結果として、役に立つ研究であることが企業のためというなら、役に立たない研究をすることが人間のためなのか、と反論したい気持になりました。しかしよく考えてみると、役に立っということばかりをあせりすぎて、どういうふうな意味で役に立つのかよく考えてみなかったことを認めざるをえませんでした。
 しかしながら、だからといって、単純に、社会のため、人間のための科学を強調するというような考え方にたいしては批判的でした。戦後にも、国民のための科学というようなものが、進歩的科学者によって提唱されたことがありますが、そういうものはどうしてもその当時の杜会常識で研究を評価し、一〇年二〇年後に重要になるような研究を見ぬいて育てることができないからです。
 たとえば、コンピュiタ革命のカギになったトランジスタの発明は、一九四八年、ショツクレーたちが鉱石探波器の原理を研究しているうちに、偶然に見つけた現象です。このころ、日本ではまだみんな食べるものがなくて、大学の先生もリュックをかついでイモの買いだしに精をだしていました。そしてどうしたら肥料を使わずにコメやイモの増収がはかれるか、という研究がさかんだったのです。種モミにX線をあてると四割増収になるという研究を、東大の先生が発表したこともありましたが、まったくのデタラメでした。
 生物革命のひきがねになったワトソンとクリックのDNAの二重らせん構造の発見は、一九五三年です。これはちょっとした先陣争いでしたが、これに加わっていたのは、世界でも一〇人ぐらいの学者だけで、この発見の重要性を理解できたのは、当時生物化学の最先端をやっている人だけでした。日本ではちょうど朝鮮戦争のころで、メーデーにでかけた研究者たちが、皇居前広場で警官にめった打ちにされるなど、おちつかない時代でした。
 研究はやっとはじまっていましたが、湯川博士のノーベル賞受賞に刺激されて、紙と鉛筆でできる理論物理の研究にばかり人気がありました。生物学は、観察を主とするおくれた科学と考えられていました。あとでまったくのインチキとわかったソ連のルイセンコの遺伝学を、革新的な学説と考えた生物学者がたくさんいたのです。
 この学説は、メンデルの法則を否定し、遺伝子は存在せず、遺伝的素質は環境によって変わると主張していたのです。生物学者で、生化学の最前線がわかる人はほとんどいなかったようです。
 このように考えると、あと二〇年後に一世をふうびするような研究のいちばん大事なところは、多分、今、世界のどこかで、ごく地味に研究と模索がつづけられているのでしょう。そしてきょうにもその大事な発見がなされているかもしれません。しかし、その発見がもたらす意味とか重大さは、だれも気がつかないでしょう。
 たとえば、遺伝の法則にかんするメンデルの研究は、現代の生物学の基礎をきづいたもっとも重要な仕事ですが、発表後三五年間も、だれからも注目されませんでした。三五年後、そうと知らずにこの遺伝法則が三つの国で同時に再発見され、よくしらべてみたら、メンデルというお坊さんがとうに論文を書いていたことがわかったのです。
 メンデルの論文は、生物学の論文としては多分はじめてのことですが、代数学を使って書かれていますから、数学に縁のうすかったその時代の生物学者には価値を認められなかったのも、無理ないと思います。
「植物の雑種にかんする実験」と題したこの論文を読むと、メンデルが自分の研究にたいしてすごい自信をもっていたことがわかります。序論で彼はつぎのように書いています。
 植物を交配させるとどんな雑種ができるかという問題については、それまでたくさんの人が研究してきたが、だれもまだ一般的な法則を見いだしていない。このためには、交配を何代もっづけておこなわせた時、雑種がどんな割合であらわれるのか、その相対比を正確に知ることが必要なはずだが、そういう実験はまだだれもやっていない。
 これは、よほど気力のいる困難な実験だが、問題の最終的解決をはかるためには、けっしてさけて通ることのできない道である。そこで自分は八年間をついやして、実験をした結果、ようやくまとまった結果を得ることができたのでここに報告するというのです。
 本文を読むと、彼が、遺伝のいちばん基本的な法則をついに発見したという確信にみちていることがわかります。たしかにそのとおりでした。彼の発見したのは、まさに遺伝の基本法則で、彼はそれを、今にいたるもなんら修正する必要のないような正確な形で発表したのでした。
 当時、だれひとり認める人がなくても、彼は、かならず世界中が彼の発見の価値を認めることになるだろう、と確信をもっていたと思います。そういう静かな自信が感じられる論文です。
 彼の研究が、歴史の中でもひときわ際立っているのは、一つは彼の問題のたて方、問題の解き方が、およそだれのまねでもなく、だれの影響をうけたのでもなく、彼独白のものであったということです。
 数学を使ったその研究方法は、突然変異と思われるくらい新しい方法ですが、彼の問題のたて方も、当時のだれも考えなかったような変わったものでした。
 それまでの雑種の研究は、生物を全体として考えて、その性質が伝えられるとか伝えられないとか議論していたのですが、メンデルは、豆にしわがあるかないか、花が茎の頂上につくのか、わきにつくのかという、個々の性質一つ一つに注目したのでした。
 遺伝子が染色体の上に乗っているという知識を前提にすればそれは当然なのですが、実際は逆で、メンデルの結果をもとにはじめて遺伝子というものの存在が考えられるようになったわけです。
 エンドウマメの種にシワがあるかないかという性質が、交配によってどう伝えられるかしらべなさいという問題をあたえられれば、注意ぶかく実験する人ならば、数年のうちに、メンデルと同じ法則を発見するでしょう。ですから、メンデルのえらさはそういう間題をとりあげたことにあるのです。
 この問題を研究すれば、遺伝法則解明のカギをにぎるだろうと考えた点にあるのです。
 なぜそう考えたのでしょう。これはたんなる思いつきではないでしょう。ふかい読みがありそうです。もしかしたら、交配する植物の双方から遺伝子が一個ずつでてきて、遺伝的性質を決めると正しく想像したのかもしれません。もっと奇妙なことを考えていたのかもしれません。
 しかし、どんなことを考えていたかは、論文を読んでもわからないのです。論文は結果を書くだけで、舞台裏にあった考えや想像は書かないものだからです。
 科学者の話もどちらかというと、結果だけをしゃべって、どうしてそう考えたのかはあまりしゃべらないものですが、これは、科学者が変なことを想像したり、考えないということではないのです。なにしろ科学でわかっていることは、まだまだわずかですから、未知の領域にふみだす時は、このさきがどうなっているか、いろいろ想像しなければまえに進めません。
 それはたんなる想像ではなく、いろいろなことから考えて多分こうなっているはずだという「哲学」かもしれませんが、それがなければ、大きくまえには進めません。
 ただ、科学者が科学者であるゆえんは、「多分こうであろう」ということと、「確実にこうである」ことをきびしく区別し、確実にこうであるというためには、どんな努力もおしまないということでしょう。

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