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冒険する頭 新しい科学の世界
システム工学から環境問題へ

 システム工学から環境間題へ

 だれのまねでもない問題をたてる

 メンデルの例でわかるように、学問の進歩に大きく貢献した重要な研究というのは、すべて、自分で発見した問題、自分でたてた問題を自分で解決したものです。それも、あいまいさを残さないように徹底的に解決したものです。その結果として、つぎの段階への見通しが大きく開けたのです。
 日本は科学の研究がひじょうにさかんで、研究者の数もドイヅ、イギリスを抜き、ソ連、アメリカにつぎ、世界で第三位ですが、ノーベル賞をもらう人が少ないことをみてもわかるように、日本の科学は、それほど高くは評価されていないのです。それは、メンデルのような画期的な仕事が少ないためでしょう。
 日本人は、人がだした問題を解くことはうまいのですが、自分で問題をたてることが少ないのです。研究でも、すでに外国でだれかがやったテーマをとりあげて、詳細に研究するといった例がほとんどです。もちろん外国でも、研究のほとんどはこんなものですが、それでもまったく新たな問題を提出してくる人がたえずいて、その割合が目本人より少し多いのです。
 それは簡単にいえば、日本杜会とヨーロッパ杜会の心理的な雰囲気のちがいにもとづくところが大きいように思います。日本では、あまり我をはらず、みんなと同じことをしていれば、みんなにうけ入れてもらえますが、ヨーロッパでは、自分が自分であること、つまり、なにか独白な存在であることを示さなければ、鼻もひっかけてもらえないというところがあるのです。その心理的圧力はひじょうに大きいものです。
 メンデルがいたチェコスロバキアは、ヨーロッパのまずしいいなかです。メンデルは、そこの修道院で、十数年間、うむことなく、実験と思索をつづけ、だれからも理解されることなく、孤独のうちに死んでいったと思います。
 しかしそのような孤独は、ヨーロッパ人にはごくあたりまえなことなのです。みんなそれぞれひとりで生きているのです。それだからこそ、自分が自分であることを示したいという欲求は猛烈に強いのです。メンデルも最後の最後の瞬間まで、自分の発見が生物学の最高の業績として、世界中に認められることを夢みていたと思います。
 ヨーロヅパ人のこういう心理は、同時に大きな欠点でもあります。多少のことは我慢しあってでも、一つの目的のためにみんなが仲よくやっていくということがまずないのです。人の意見に、とりあえず賛成するなどということもまずありませんから、みんなで話し合えば話し合うほど、ちがいが際立ってきて、まとまらなくなるのです。
 ですから、おおぜいの人が一緒に動くためには、力でおさえつける以外にないのです。このため、杜会の中にも階級意識が強く残っています。人はその属する階級によって、話し方、笑い方から、生活感情まで、まるでちがうのです。「人間はみな同じ」という状態からはほど遠いのです。もちろん、これにたいする反省も強く、思想の上、制度の上では、平等とか民主主義が強調されるのです、
 このように研究のあり方は、社会のあり方とふかくかかわりかあるのです。
 では、日本で独創的な研究をのばすにはどうしたらよいでしょう。原因をあきらかにした以上、長所を生かしながら、欠点をあらためる努力を徹底的に意識的におこなうことしかないでしょう。
「研究課題はかならず自分で考えだすものとし、けっして人のあと追い、外国のあと追いをしない。 あいまいさの残らない研究方法を実現し、たしかな発見があるまで徹底した研究をおこなう。
 研究の伝統のない日本でこれをおこなうには、意識的におこなう必要がある。そのためには、研究上の大事な問題を自由に討論のできる民主的な人間関係を研究室につくることが必要である」
 これは、私が、大学院の学生のころ、日本と欧米の研究を比較し、どうしたら日本でもっと独創的な研究ができるか考えて到達した結論で、このようなことを、物理学者の武谷三男先生が編集した『自然科学概論第三巻』に、自分の決意をこめて書いたものでした、それから三〇年ちかくたっていますが、その間、この考えは変わることはありませんでした。私が、化学工場やコンビナートに関するシステム工学の研究をしているあいだ、頭をはなれなかったのはこの考えでした。
 研究というとふつう、外国の研究をなぞることからはじめることが多いのですが、私たちはまず、コンビナートの計画の実際の仕事を自分たちでやってみて、その中から研究として取り組む課題をつぎつぎ引きだすようにしました。
 そのためには、研究室の中に自由に徹底的に討論する雰囲気を必要としました。そのためのある程度の努力はしました。たとえば、私を「先生」とよばずに、「西村さん」とよぶことに決めました。「先生」とよぶと、一回一〇〇円の罰金です。
 また討論といっても、緊張しっぱなしではとても長時間もちませんし、よい考えも浮かぴません。そこでたえず、じょうだんをいいあうようにしました。
 うまく思いついたじょうだんは、みんなを緊張から解放してくれるだけでなく、一挙に核心にふれますから、討論が活発になるのです。
 もちろん、自由な創造的雰囲気というのはこうしたテクニヅクだけでできるのではなく、大事なのは、おたがいに、人間として尊敬しあえるあいだがらにあることだと思っています。学生だって先生から一目おかれなければ、よい人間関係はできないと思います。
ですから私は、研究室に学生をうけ入れると、感心できるところが見つかるまでつきあうことにしているのです。

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