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四日市の海

 四日市の海

 今できないことは将来もできない

 これはむずかしい問題でした。ふつうの人は、どんなむずかしい問題でも、学者に相談すれば解決するだろうと考えがちですが、それはまったくまちがいです。
 ふつうの人が実際にでくわすような問題で、ふつうの人が考えてわからないことを、学者にたのめば解決するということは、まず少ないのです。むしろしろうとがやさしい問題だろうと思って聞いたことでも、たいてい、「それはむずかしい問題です」といって、深刻に考えこんでしまうと思います。
 その理由は、現在学問は、たいへんこまかい専門にわかれていて、ひとりひとりの学者は、そのうちのほんの一部をやっているのにすぎないのですが、実際にぶつかる問題の大部分は、そういう純粋な問題ではなくて、もっと複合した問題だからです。
 田尻さんの問題、港の中のpHはいくらであったかという問題も、専門家にいわせればたいへん複雑で、「現在の学問のレベルでは、答えるのがむずかしい」問題なのです。こういういい方を専門家はよくやりますが、それはかならずしも、まっていればやがて解答がえられるということではないのです。
 現在答えられない問題の九〇パーセント以上は、ちかい将来も答えられないと思ってまちがいありません。それでは学問の進歩とはなにか、ということになりますが、新しい学問は新しい問題、つまり、それ以前の人たちが考えもしなかったような問題に答えているのです。
 数学や物理学で、難問といわれている問題に手をだしてはいけないというのは、そういうことなのです。たとえば、世界地図をつくって、色で国をぬりわける時、国境を接している国同士が同じ色にならないようにするには、四色あれば十分、ということは何百年もまえからわかっていますが、ところが数学的には、五色あれば十分という証明はすぐできても、四色で十分という証明はなかなかできないのです。
 この証明をするために、どれほど多くの天才的な数学者が、ばくだいな時間とエネルギーをつぎこんできたことでしょう。きちがいになった人も、ひとりやふたりではないと思います。しかし、昔の人が、一生懸命やってできなかった問題というのは、いろいろな学問が進んだあとの時代の人がやっても、解決できる場合は少ないのです。
 つまり、今できないことは、ちかい将来もできないのです。ですから、もし問題を解決することが必要なら、将来は解決できるようになるだろう、などと思わずに、現在の学問と技術でそれを解決することが必要なのです。
 専門家にいわせると、港のようなせまいところで、排水と海水がどうまざりあうかは、複雑すぎて、研究されたことがないのでした。いままで海洋学者は、ひろい海面にウラニンという染料を流した時、それがどうひろがるかは、いろいろ研究してきました。
 しかし、港のようなせまいところで、それがどう変わるかは複雑な問題です。やっかいなのは・排水と染料では、ずいぶんちがいがあることです。染料は海水でうすめて流しますから、比重が海水と同じですが、排水は淡水ですから比重が小さく、海水の上をうすい層となってひろがってゆき、鉛直方向にはまざりにくいのです。ちょうどお風呂をわかしている時、あついお湯が表面に集まり、つめたい水が底にあって、かってにはまざりあわないのと似ています。
 それに排水は一日何十万トンという大量ですから、実験で染料を流すのとは、だいぶようすがちがうはずです。このように、海に放出された排水が、海水とどうまざっていくかというのは、多くの人が毎日のように見ている現象でありながら、複雑すぎて海洋学者もまったくお手上げのありさまでした。
 さらに田尻さんたちをなやました問題は、排水は海水とまざるという時に、どこの海水どのくらいとまざっているかという問題でした。実際にはpH一・八の排水が、一日二〇万トンずつでていましたが、この二〇万トンの排水が、どれだけの海水とまざるのかという問題です。
 会杜は、田尻さんにたいし、伊勢湾の海水でうすめられるから、問題ないといったそうです。田尻さんは、うすめるのは港の中の海水ではないか、しかも港の中の海水はすでにうすめられて、中和能力をだいぶ失っているのではないか、と考えました。
 私はさっそく、この会杜の排水と同じものをつくって、伊勢湾の海水でうすめて実験をしてみました。この会杜の排水には、鉄、ティタニウムのほかに、わけのわからない金属もたくさんはいってま
したが、田尻さんが押収した会杜の排水分析表をもとに、同じものをつくってみました。

 そしてこれをフラスコに一〇〇ccとって、つぎに海水を少しずつ入れてはかきまぜて、色の変化を調べpHメータでpHをはかっていったのです。ちょうど二〇倍ほど希釈(うすめる)した時に、茶褐色の沈澱がではじめ、さらにうすめていくと、透明だった液がバヤリースオレンジのようなだいだい色になりました。この時pHがちょうど七でした。なんだろうと考えていると、田中君がいいました。
「それはpHの低い時はとけていた三価の鉄イオンがpHが上がると水酸化鉄になって析出するからじゃないですか」
「なるほど、そうすると実際に排水口のちかくでも、水酸化鉄の析出がおこっていたはずだね」

 私たちはさっそく、当時の四日市港の写真をさがしました。田尻さんがとどけてくれた書類の中に、海上保安庁が発行した「海上保安の現状」というパンフレットがあって、この表紙に四日市港の写真が使われていました。

 この会杜の排水が港の中にひろがっているようすが、ちようどけむりでもうつしたように、はっきりうつっていました。問題は色が変わっているかどうかです。白黒写真なのでよくわかりませんが、注意してみると、排水の形が排水口からはじまらずに、それから少しはなれたところから
突然はじまったように見えてます。
 それまで、これはなにかのために写真のうつりが悪かったのだろうと考えていたのですが、よく考えてみると、排水口付近の排水はほとんど透明なので、写真には排水の色としてはうつらないのです。海水と混合してpHが上がったところで、急に見えだすのです。
 つまり、今まで排水の色と思っていたのは、排水が海水とまざってpHが上がったところでだす色でした。
「そうすると、この色のついてない海域は、pHが七以下だということになりますね」
「そうだ、当時の埠pHの測定がなくても、写真からある程度のことはいえるわけだね」
 これは私たちにとってちょっとした発見でした。pHが七以下の海域が、そうとうにひろがっていたということがわかったからです。pH二・〇の所も同じような原理でわかれぱよいのですが、そうなんでもうまくいくことはありません。
 この問題を追求するには、自分たちの手で排水のひろがりの研究をやる必要がありました。その機会は意外とはやくきたのです。

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