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瀬戸内海汚染の研究

 瀬戸内海汚染の研究
 まず現地調査から                
 私は環境の問題の研究をはじめた時から、日本のいちばん大事な環境問題としては、ぜひ瀬戸内海をとりあげるべきだし、自分でもこれにうちこんで研究したいなと思っていました。
 その理由は、世界でも、もっとも美しい海である瀬戸内海が、当時汚染が急速に進んでおり、そのまま放っておけば、硫化水素ガスを発生する死んだ海になってしまうおそれを感じたからです。ただしその対策となると単純ではありません。瀬戸内海の性格が複雑だからです。
 約三〇〇〇の島をかかえた瀬戸内海は、もっとも美しい海の公園ですが、同時にここは、日本の重化学工業の四〇パーセントが集中した、大工業地帯なのです。したがって、船の往来がすごくはげしいのです。
 しかも、そのすきまをぬうようにして漁船が操業しているのを見てもわかるように、ここは、もっともおいしい魚がとれる豊かな漁場でもあります。気侯がよくて、魚がおいしくて、仕事もあるのですから、当然たくさんの人が集まってきて、人口集中のはげしい地帯になっています。
 国立公園、工業地帯、漁場、人口密集地というように、ふつう考えると相反するような要素が、全部集まったのが瀬戸内海なのです。
 したがって、工場排水が汚染の原因だからといって、工場を止めてしまうわけにもゆきません。たくさんの人の働く場だからです。昔は静かだった漁場を、たくさんの船が通るため、漁ができなくなったところも多く、船の航行を制限してくれという声もありますが、船がこなくなると、たちまち製品の運搬に困る工場が多いのです。
 このように、いろんな問題がからみあっているシステム工学的問題だということが、私の関心をひきました。瀬戸内海では人間の活動ばかりでなく、生態系も複雑にからみあっているのです。
 生態系は、そこに生活している生きもの全体のことです。その中には植物プランクトン、動物プランクトンをはじめとし、プランクトンを食べるイワシのような小魚、イワシのような小魚ばかり食べるアジやタチウオのような魚がいますし、いっぽう、海の底のほうをみると、海の砂や泥の中には、ゴカイや貝かいます。
 これらの幼生をえさにして、クルマエビなどが、泥の表面で生活しています。そのすぐ上をエビをえさにするタイやサワラが泳ぎまわっています。
 このほかに重要な生きものに、パクテリアがいます。タチウオやタイは、海の中ではおおいばりですが、それは生きているあいだのことだけで、死ぬとたちまち、バクテリアが体を分解してしまい、その栄養素をプランクトンが利用することになるのです。
 つまり瀬戸内海は、食う、食われるという関係で、からみあうようにむすばれた生物のシステムです。したがって、汚染によってそのメンバーの一つでもひじょうに数が少なくなったり欠けたりすると、その影響が全体におよんで、生きもの全体が生活できなくなってしまう可能性もあるわけです。
 その意味で、瀬戸内海はまさに最高に複雑なシステムなのです。ですから、瀬戸内海にかんする政策を考える場合は、工業だ、漁業だ、埋め立てだ、し尿投棄だと、それぞれの部門が手前勝手な利用を考えるのではなく、複雑な生きもののシステムである瀬戸内海を、どのように運転していったらいちばんよいのか、科学的に研究し、総合的に考えていく必要があるわけです。
 当時、私は、こういう考えをあちこちで一生懸命に説明し、こういう研究をはじめるべきだということをうったえてまわっていました。

 これに最初に反応を示したのは、不思議なことに通産省でした。
 通産省という役所は、工場をつくるほうの役所で、環境の問題などはあまり考えずに、日本のあちこちにたくさんのコンビナートをつくってきました。それがいろいろな公害問題をおこし、いろいろと批判をうけていましたから、過去の無思慮なやり方を少し反省している時だったようです。
 名古屋大の地球物理の島津先生、早稲田大建築の尾島先生、東大システムエ学の茅先生など、私を含め何人かの学者がまねかれて、生態学を基礎にした産業政策のあり方を研究する委員会が発足したのは、一九七一年です。
 さっそく集まって仕事のすすめ方を議論しました。各人意見がちがっていて、第一回目から収拾のつかないほどの会議になりました。いちばんの大きな相違は、コンピュータでモデルをつくることからはじめるのか、現地の調査からはじめるのか、という点でした。
 これは生態学という学問の現状を、どう考えるかによって変わることでした。生態学がすでに学問として有用な情報が整理蓄積されていれば、コンピュータモデルからはじめれ
ばよいわけです。まだそこまでに達していないと思えば、自分たちの手で現地調査をし、データを集めることからはじめなければなりません。
 私たちは生態学の現状を知っていましたし、また、オペレーションズリサーチの伝統をうけつぐものとして、現地調査からはじめることを強く主張しました。調査に二年、コンピュータをまわすのはそれから、という考えでした。調査といっても、必要なデータを全部自分たちの手でとるなどという、だいそれたことを考えたわけではないのです。
 今までに瀬戸内海で蓄積されたデータをフルに使うつもりでした。それにくらべれば、自分たちの手でとれるデータは、一〇〇分の一にも満たないかもしれませんが、データというのは、自分でとってみて、はじめてその意味がわかるものが多いのです。
 たとえば、瀬戸内海は昔、白砂青松といって、海岸が白く見えるくらい、海の底の泥がきれいなところでしたが、今はそれが少なくなって、ヘドロとよばれるような、まっ黒い、くさい泥がふえています。
 この泥の汚染をあらわすのに、泥の中の硫化物の量が使われます。
 ほした泥一グラムあたり全硫化物が?・一ミリグラムから一ミリグラムのあいだであるといわれても、はじめは全然ピンときませんが、自分で泥をとって、それを手でさわってにおいをかぎながら、硫化物を分析するということをくりかえしてみると、硫化物O.五ミリグラムの泥が、ここからここまで分布しているといわれても、だいたいどんな泥なのか、はっきり思い浮かぶようになりますし、そういう状態では、ゴカイはいても、カニやエビの幼生はいないだろうな、と想像がつくようになります。他の人が測定したデータの信頼性の程度をつかむにも、自分で分析してみることが必要なのです。

 たとえば、同じ泥の中の重金属を分析するといっても、サンプルのとり方によって大きく値が変わってきます。こまかいヘドロばかり集めると、一般に高い値がでますか、砂や石ころばかりでは、低い値しかでません。
 また、泥は表面ちかくのほうが汚染が強いので、表面数ミリメートルだけかき集めたサンプルと、数センチ分をひとまとめにしたサンプルとでは、大きく値がちがってくることもあるのです。
 こういうことを知らないで、数字の上だけで二つの地域の汚染度を比較すると、とんでもないまちがった結論をだす可能性もあるのです。
 コンピュータシミュレーション( いろいろなことが実際におこるようすを、コンピュータでの計算によって予知すること )に夢中な人の中には、データの意味もわからないのに、たくさんのデータを集めて、シミュレーションをしようとしている人がいますが、その人たちはこういう意味で、ひじょうにたよりないのです。その人たちのシミユレーシヨンの結果が政策を左右する場合は、大きな危険さえあるのです。
 私は、こういう観点から、今度の問題では、いきなりコンピュータからはいるのはまちがっている、実地調査・分析からはじめるべきだと主張したのです。
 もちろん、さきほど説明したような話は、その後私たちが実際に調査をやる中ではじめてわかったことですから、その時は、こんなふうに説明できるわけはなく、一般論として主張したのです。
 ところが、このやり方には考え方の上で反対する人もあって、まとまりません。その時、千葉大の伊東光晴先生がいいました。
「古来、研究の方法論というのは、いくら議論してもどれが正しいか決まるものではないのです。自分の方法が正しいとお思いなら、それぞれ信ずるところにしたがっておやりになって、でてきた結果で勝負したらいかがでしょう」
 このひとことで議論はチョンです。この種の委員会にしては考えられないことですが、自分がいちばんよいと思う方法にしたがって、別々に研究を進めることになりました。
 こうして私たちの研究室の瀬戸内海研究がはじまったのです。

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