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瀬戸内海汚染の研究

 瀬戸内海汚染の研究

 出発前の計画と準備

 しかし, 工場を計画した人,工場から廃水を流している人たちは、こういうことを知っていたのでしょうか。多分知らなかったと思います。知っていたら、パルプかすは無害だから流してもよいといって、一日一〇万立方メートルものパルプ排水を、じゃんじゃん岩国の海に流すようなことはしなかったでしょう。
 これはこういうことなのでしょう。技術というのは、それまで、工場の塀の中にしか目をむけていなかった。システムとして工場の中しか見てこなかった。その限りでは、もっとも合理的なものになっていたと思います。
 しかし、いったんシステムのわくをひろげて、まわりの海、まわりの環境までふくめてシステムを考えて、このシステム全体に対してよい技術であったかというと、そうではなかったということでしょう。これからの技術というのは、生態系にたいするふかい理解をふくめた、もっとバランスのとれたものでなければならないという感じを私たちはふかめたのでした。
 このようにして, 二か月ほどのあいだに、数百の論文を読みあげ、その間にみんなで集まっては、何時間も考え考え議論するということをつづけて、海の汚染というものにたいする、自分たちのイメージをつくりあげてゆきました。同時に、自分たちの調査計画もつくりあげました。
 底質の汚染がどのように進行しているかを、調査の中心課題にしようということになりました。
 それには、底質のCOD、硫化物、重金属を分析する必要があります。精油所があって大きなタンカーがではいりしているので、石油がこぼれているかもしれないから、底質中の石油も分析することにしました。底質汚染には、泥のこまかさが大きく影響しますから、粒度分析も必要です。
 さらに、泥の汚染の原因は排水ですから、水の分析もしなければ意味ありません。全部数えあげると、一〇項目ほどになりました。ひとりが一項目か二項目分担することにして、分析の練習をはじめました。
 私たちの研究室はそれまで、コンピュータばかりやっていて、分析ということをやったことがなかったからでした。
 はじめ分析というのは、そうむずかしいこととは思いませんでした。ちょうど料理と同じように、何グラムの試薬を、何リットルの水にとかして、何分熱して、何分焼くと書いてあるので、そのとおりやりさえすればよいからです。
 ただし、なんでもその限度いっぱいをねらおうとすると、急にむずかしくなるのです。たとえば、水中の石油の分析です。石油の濃度はppmであらわします。
 一リットルの水の中に、一ミリグラムの石油があれば一ppmです。
 分析のやり方は、水にヘキサンを加えてはげしくかきまわし、水の中の石油をヘキサンのほうに集めます。そして、水とヘキサンを分けたあと、ヘキサンを蒸発させ、残った石油の重さをはかるのです。
 一〇ミリグラムぐらいあればらくにはかれるのですが、目で見て油膜があるんではないかと感じる限界か二、三ppm以下ですから、一ミリグラムぐらいまではかりたいわけです。ところがどうもうまくいきません。どうしても測定値がバラついてしまうのです。
 何回か実験をくりかえしたあと、新庄君がさけびました。
「あっ、わかった。ほこりだ」
 つまり、ヘキサンをはやく蒸発させるために、ヘアドライヤーであつい空気をふきつけますが、このなかのほこりが、少しずつ蒸発皿にくっついてしまい、数ミリグラムの誤差をうむのです。これをさけるには、空気をふきつけないでも蒸発するような溶媒を使えばよいのです。
 それで私たちは、エーテルを使うことにしました。しかし今度は、引火の危険があるので、実験はすごく注意ぶかくやらねばなりませんでした。
 こういう意味では、硫化物の測定でも、重金属の測定でも、すべてなにか工夫が必要でした。予想される環境中の濃度が、いずれも分析でふつうにあつかう濃度にくらべて低いため、限界にいどむような工夫が必要だったのです。
 分析がひととおりできるようになると、今度は、水と泥をとるための器具を、注文してつくってもらいました。バンドーン採水器と、エックマン採泥器です。
 つぎの仕事は荷づくりです。岩国の海で水と泥をサンプリングしたあと、それをすぐ分析しなければなりませんから、分析に使うガラス器具、試薬、ろ紙から、天秤にいたるまで、全部荷づくりをして運ばねぱなりません。
 船の上で使う採水器、採泥器から、ポリビン、ポリ袋、マジックインキにゴム手袋まで、忘れないようにしなければなりません。しかも、なにがどの箱にはいっているかすぐわかるようにうまく分類して、内容を全部箱のおもてに書いておく必要があります。
 これは、そうとうにたいへんな仕事でした。一回もやったことのない仕事ですが、船に乗ってからおりるまで、分析をはじめてから終わるまでの行動を、こまかく頭にえがいて、実際に体を動かしてやってみて、忘れているものがないかをたしかめるのです。
 たとえば輸送中に、または実験中にガラス器具がこわれることを考えておかねばなりません。なんでも余分に二つ三つもっていけばよいのですが、それでは自動車に積みきれません。これとこれがこわれた時は、なんで代用するのか、そのためにはなにを余分にもっていくのがいちばん有効なのか考えるのです。
 これは神経のつかれる仕事でした。荷づくりに結局一か月ほどかかりました。

 荷物は、レンタカーで借りたトヨエースに積みこみました。新庄君が運転し、熊谷君が助手をつとめ、岩国まで直行することになりました。二人を送りだすと、私たちは東京駅にかけつけ、新幹線にとび乗りました。列車に乗るとほっとしました。ここまでくれば、あとは仕事はなかば自動的に進んでいくはずだからです。
 計画と準備の段階が八〇パーセントかもしれません。とくに出発前の最後の数日間は、時間との追いかけっこで苦しい思いをしました。そして前の日には、私が胃けいれんをおこし、救急車で病院にかつぎこまれたのです。さいわい、モルヒネ(痛み止め)をうってもらったらおさまったので、予定通り出発したのですが、もし医者にとめられたらどうしようと、心配のしどおしでした。

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