Jim Nishimura Web site

冒険する頭 新しい科学の世界
瀬戸内海汚染の研究

 瀬戸内海汚染の研究

 集めたサンプルの分析

 こういう実地調査の必要な、実際的、総合的な学問というのは、いわゆる専門の学問にくらべて、ずいぶんいい加減なところもありますか、逆に、専門の学問というのは、ヨーネルス博士のいう意味で、いったい頭を使っているのかな、と思うこともしぱしばでした。
 たとえば、ほんとうの専門家ならローブのきれた採泥器をもってくることはないでしょう。すると、ヨーネルス博士みたいな工夫をする必要もないわけです。すると、工夫する才能も育たないことになります。
 こうして育った専門家というものが、専門以外のことについて、まるっきり無力だということは当然なことです。それはそれでよいのかもしれません。しかし、学問する人がすべて、このような専門家ばかりになったらどうなのでしょう。

この日の実地調査は、予定の三分の二ぐらいを消化して終わりとしました。翌日から三日間は、集めた水と泥のサンプルの分析をしました。さいわい、南西海区水産研究所の村上博士が、自分の実験室を全面的に貸してくださったので、のぞみうる最高の状態で分析をすることができました。
 村上博士は、瀬戸内海の汚染について、もっともくわしく研究している人でした。そして瀬戸内海が今、ひん死の状態にあること、早急に手をうたなければならないことを、さまざまな機会をとらえ、強くうったえていました。
 これは官庁の研究者にはめずらしいことでした。官庁の研究者はふつう、自分の考えを発表することがないからです。研究者の仕事は事実を明らかにすることで、考えを発表することではないと考えているからです。
 研究者は瀬戸内海の汚染状況を明らかにするデータを報告すれぱよいのであって、瀬戸内海をどうしたらよいかというような、大きな問題は、行政が総合的に判断して決めることであって、専門のことしか如らない研究者が、かってに意見をいう問題ではないと考えている人が大部分です。
 少なくとも、上層部の人ぴとはそう考えてました.これにたいし、村上博士の考えはまったくちがっていました。瀬戸内海がひん死の状態にあること、そして今すぐなにか手をうたなければならないことは、これを専門にしている科学者だからわかることであって、意見をいうことは科学者の義務だと考えていました。
 村上博士のこういう考え方や、行動には、いろいろな方面から反対や抵抗もあったようですが、村上博士にとって、瀬戸内海を救うことが第一に重要で、それ以外の考慮はあとまわしでした。
 私が村上博士にお会いしたのは、ほんの二、三か月まえで、いきなり、調査船しらふじ丸に乗せてくださいとおねがいし、つづいて、実験室を貸してくださいということをおねがいしたのですが、わかりましたといって、しばらくして研究所から許可をとってくださいました。
 官庁機構の中では、外部の人を船に乗せたり、実験室を貸したりするのはいろいろ反対が多いものですから、そうとう、骨を折っていただいたのだと思います。
 私たちが研究のはじめの段階で、村上博士と知りあって、いろいろ指導していただ.いたり、助けていただいたりしたのは、たいへん幸運だったと思います。こういう幸運にめぐまれなかったら、私たちには瀬戸内海の研究はできなかっただろうと思います。
 私たちは、約一週間で岩国をひきあげて東京に帰ってきました。帰りも運転は新圧君、助手は熊谷君でした。運転もたいへんですが、助手もたいへんなのです。
 助手の役目は、たえず運転手に話しかけて、運転手がねむくならないようにすること、車が渋滞して風がはいらない時は、よこからあおいでやること、適当に冷たいものを買ってきてサービスすることですが、熊谷君は、九〇点の助手をつとめたそうです。
 この二人は、大学紛争の時は、別々のグループに属していて、教室でもはなれて座るほどの仲だったので、みんな心配したのですが、予定どおり無事に東京に帰ってきました。
 帰ってきてから、分析データの解析と、それにもとづいてモデルをつくる仕事をしました。いちばん最初に取り組んだのは、廃水のひろがりの法則性をみつけることでした。
 工場から放出された廃水が、どんなふうにひろがるかは、不思議なほど研究のおくれた分野でした。ただ一つの例外は、新田博士の研究で、瀬戸内海各地のパルプエ場の廃水のひろがりをしらべたものでした。
 バルプ廃水は強い色がっいていますから、廃水がひろがった範囲が、はっきりわかるのです。新田博士は、各地のパルプ廃水のひろがり面積をしらべて、それが廃水量の一・三乗に比例することを見いだしたのでした。
 これは新田の式として知られ、各地で廃水の影響する海域の大きさを予測するのに使われていました。
 この新田博士の式はほんとうだとしても、私たちには理解しがたい点が一つありました。それは、廃水のひろがりということです。海の上で、ここまでは廃水、ここからは海の水、と区別できるだろうかという点です。
 むしろ廃水は、徐々に海の水とまざっていくのだから、廃水の濃度は連続的に変化しているはずではないか、と考えたのです。ですから、岩国の海でも、パルプ工場の廃水をその先端まで追っていき、はたしてその境い目が見えるかどうか、しらべてまわりました。
 すると、境い目がはっきり見える場所も少しはありましたが、境い目がそれほど明瞭でないところのほうが多いことがわかりました。しかも、目で見ると、境い目がはっきりしているところでも、廃水の濃度をしらべてみると、連続的に変化していることがわかりました。
 そこで私たちは、廃水のひろがりとともに、濃度がどのように変化するかをしらべ、その法則を見つけようと努力したのです。
 最初におこなったのは、現象論的な整理です。それは簡単にいえば、いろんな工夫をして、データを一本のグラフの上にのせることです。
 私たちもまず、よこ軸に排水口からの距離、たて軸に廃水の濃度をとって、データをグラフ用紙に点で書きこんでみました。ところがこれは全然うまくいかないのです。同じ距
離でも、廃水濃度が低いところも高いところもあるのです。
 この理由は、廃水濃度の等高線をえがいてみるとよくわかりました。廃水は、けっして排水口を中心に対称にはひろがっていないのです。潮流などの影響をうけて、おしつぶされたり、横に流されたりしているのです。
 そこで今度は、その等高線の内側の部分の面積をはかって、その面積をよこ軸にとり、等高線があらわす濃度をたて軸にとって、グラフをえがいてみました。正確には、この濃度と沖合いの濃度との差をたて軸にとりました。
 グラフの点は、等高線の数だけあるわけですが、順々に点を書きこんでいくと、どの点も全部一直線上にならぶではありませんか。私は、自分で点を書きこんでいて、「やった」と思いました。なにか大事なことが見えてきそうな感じかしたからです。
 しかしそれには、たまたま一つの例が直線にのったというのでは不十分です。満ち潮時のデータばかりでなく、引き潮時のデータも、夏の静かな海のデータばかりでなく、冬のデータも、岩国のデータばかりでなく、他の海域のデータも、全部直線になることがわかれば、この整理がそうとう意味があることになります。
 さらにこれらすべてのデータが、条件のちがいにかかわらず、全部一本の直線に整理されるとなると、この現象のうしろには、確固たる自然法則が支配していると考えてよいのです。

ホームページへ
hajime@jimnishimura.jp