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瀬戸内海汚染の研究

 瀬戸内海汚染の研究

 廃水と濃度の法則性をつかむ

「もっとデータがほしいな」
 というと、平泉君が
「禁断の木の実ならありますが」
 といたずらっぼく笑って、何冊かの冊子をだしてきました。
 これは、瀬戸内海の主要な工業地帯の海を対象にして、経済企画庁が一九六三年以来、隔年におこなってきた、水質調査データなのでした。しかし、どの表紙にも大きく「部外秘」というはんこがおされてました。
 平泉君は、こういうデータをどこからか手に入れてくるのがたいへん得意でした。みんなはこれを、平泉さんの人徳とよんでいました。つまり、官庁ではなんでも部外秘ですが、部外秘にもいろいろな程度があります。昔の水質調査データを極秘にしておく必要はないのでした。そこで信用のおける人には見せてくれるのでした。平泉君は、そのお役人のまねをしていいました。
「このデータはお使いになってけっこうですが、論文に発表なさらないように」
 禁断の木の実であろうと、データを見たら食べたくなるのが科学者です。私たちは、岩国とひうち灘の例をえらんで、それぞれの地図の上に、廃水濃度の等高線をかき、面積をはかり、両対数方眼紙に点を書きこんでみました。
 そうすると、どの例も直線上にのるのです。さらに驚いたことには、どの直線もかたむきがほとんど同じなのです。私たちはだんだん興奮してきました。あとこの全部の直線が一本の直線になる整理のしかたを見つければよいのです。頂上まで、もう一歩というところにきている感じです。
 もう一度、グラフをよく見て、どの直線が上のほうにあり、どれが下のほうにあるのか、しらべてみました。すると当然のことですが、小さい排水口の場合、少しはなれると、濃度はたちまちさがって、沖合いの濃度と同じになっています。つまり、直線は下にきます。
 ところが、大きい排水口の場合は、そうとうはなれても、廃水の影響があって、濃度は沖合い濃度とは差がありますから、直線は上にきます。すると、現在のたて軸を、排水口の大きさをあらわす量で割って、グラフ用紙にこの点を書きこむと、すべての直線は一本の直線にちかづきそうです。
 西村 「排水口の大きさをあらわす量はなんだろう」
 熊谷 「それは廃水量でしょう」
 平泉 「いや、廃水負荷じゃないか」
 熊谷 「あ、そうそう、そうですよ」
 排水負荷というのは、排水量に、排水口の濃度をかけたもので、汚染物質が一目に何トン放出されるかを、あらわす量です。排水量が一〇倍でも、濃度が一〇分の一なら、排水負荷は同じということになります。
 西村 「そう単純にいえるかな。排水負荷が同じでも、排水量の大きいほうがひろがるんじやないか」
 熊谷 「そういえばそういう気もしますね」

 これは、ためしてみれば決着のつくことですから、さっそくやってみることにしました。ところが困ったのは排水量です。各工場の排水量はこの冊子にでていますが、このほかに河川の流量が必要なのです。私たちの知りたいのが、この海域に流れこむ全流量だからです。これは冊子には書いてありません。
 どこかをよくしらべれぱ、各河川の年平均流量はわかるかもしれませんが、これではだめなのです。必要なのは、たとえば一九六三年七月三目の流量です。河川の流量は、ちょっと雨がふれば、たちまち平均流量の一〇倍ぐらいにもなりますから、平均流量では役に立たないのです。
 西村 「川の流量というのは、はかられてないのかな」
 平泉 「一級河川ならはかってますよ。このちかくなら重信川の流量はわかってます」
 熊谷 「比例というわけにはいきませんかね」
 西村 「比例係数は」
 平泉 「集水域の大きさではどうかな」
 つまり、流量がはかられている河川と、私たちが流量を推定したい河川の集水域に、同じように雨がふり、同じように流出すると仮定すれば、流量は集水域の面積に比例するはずです。したがって、地図の上で集水域の面積をはかれば、それでよいはずです。
 熊谷 「流出係数同じという仮定は少しひっかかりますね」
 西村 「重信川の流域は木が多いけれど、こちらの川の流域ははげ山だからね」
 しかし他に方法がないので、これでやってみることにしました。まず、岩国とひうち灘では、海水が河川水でどれくらいうすめられているかをあらわした「濃度」を、河川水の流入量で割って、この量をグラフ用紙に点で書きこんでみました。みんな緊張して見まもっている中で、熊谷君が特有の大きな丸と太い線でグラフをかいていきます。
 すると、どの線もほとんど一致するのです。
「すごい」、みんなが思わず驚きの声をあげました。今までだれも指摘していなかったこ
とに一つ気がついたわけです。
「それではCODもやってみよう」
 平泉君がいいました。
 CODというのは、排水中にふくまれている有機物の量をあらわす指標です。よごれた排水ほどCOD濃度が高いのです。こういう排水が海にはいると、海のCOD濃度もあがることになります。
 さっそくCODの濃度をCODの負荷で割った量を、グラフ用紙に点で書きこんでみましたが、これはうまくいきません。一〇分の一ぐらい小さいところにでてしまい、一本の線にはのらないのです。みんなの顔がにわかにきびしくなります。成功したと思ったとたんに、ふかい穴につきおとされた感じでした。
 西村 「負荷量の計算、まちがってないだろうね」
 熊谷 「企画庁のデータそのものだから、まちがいっこないでしょう」
 西村 「濃度をまちがってひとケタ小さく報告したということだとつじつまがあうんだけどね。
 平泉 「熊谷君、CODの測定法はどうなっている。廃水と海水とでちがうんじゃない」
 熊谷 「廃水は、酸性マンガン、海水はアルカリマンガンです。海水には酸性マンガン法は使えませんから」
 平泉 「ぼくの経験では、アルカリ法は、濃度が低目にでるよ。だから、海水中のCOD濃度は、実際はもうちょっと高いのかもしれない」
 熊谷 「もう一つの可能性として、CODは有機物ですから、環境中でどんどん分解してなくなっているので、実際に濃度か低いということも考えられませんか」

 こうして私たちは、つぎのような結論にたっしました。つまり、さきに発見した法則は多分正しいのだろう。CODにかんしてこれが成りたたないように見えるのは、むしろCODの側の問題で、測定法に問題があるか、またはCODが比較的はやく分解してしまうかのどちらかであろうということです。
 こうして私たちは、つき落とされたと思った穴からはいあがることかできたばかりでなく、つぎに研究すべきテーマを二つも見つけたのでした。
 私たちは、廃水のひろがりと濃度の関係、ことばをかえていえば、廃水が海の上にひろがる時、ひろがりとともに、どれくらい海水でうすめられるかについて、法則性をつかんだのでした。
 この法則を使うと、田尻さんのだした問題にも答えられるはずでした。

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