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日本人が世界に誇れる天才は南部陽一郎 その仕事とは
現代化学 2009 2月号

南部陽一郎の独創性の秘密をさぐる(1)
南部陽一郎のすごさを本当にわかるためには、それ相当の時間と努力を要します。ここでは,南部の独創性の秘密に迫りたい人のために、手引きをします。まず、素粒子論の基礎である「場の量子論」、「繰り込みの方法」を解説すると同時に、現代素粒子論の「標準モデル」(standard model)、を解説し、その源流に南部がいたことを明らかにします。

Part1 いまなぜ南部か: 日本が世界に誇れる天才は 湯川と南部

1. 独創的に生きたいと思っている人へ


 この論文は「研究は一生を通じ自分らしく独創的でありたい」と考えている読者に向けたものです誰しも博士論文完成までは真剣にそう考えるでしょうが、いったん職を得てしまうと、仕事としての研究に追われ、「独創性」とは、研究費を有効に稼ぐためのテクニックになってしまい がちです。そこで誰もが,手段テクニックとしての独創性に注目し、過去の独創的研究の成功例を寄せ集めてみるのですが、それは結果だけ見ると、「注意深さ」とか「先入観の排除」とか「セレンディピティー」とか心理の問題に帰着しがちです。しかしそれは間違っています。独創的な結果が出せるかどうかは、決して瞬間心理の問題ではなく、仕事の仕方から人との付き合い方まで含めた生き方全部が関係する問題だからです。

 このことを考えてもらうためにさきに書いたのが、「どうしたら独創的研究ができるか」(本誌2005年10月号)です。そこでは, 共同研究における役割分担から師との人間関係まで、私の経験を中心にくわしく説明しました。なぜ不遜にも自分の経験を用いたかというと、師との人問関係 のような間題については、肝心な点は微妙な間題があるので、言う人は少なく, 書き残されたものはほとんど皆無だからです。

 この間題を真面目に考えたい人に「how to もの」は役に立ちません。 仕事の仕方, 人問関係について、教えてくれる可能性があるのは、よい伝記です。私の場合、年代によって、スタイルは変わってきましたが、独創的な生き方について、大事なことを教えてくれ、憧れを与え、励ましてくれたのは、伝記でした。小学校時代、決定的影響を受けたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチでした。 画家で、解剖家で、物理学者であり、機械発明家で建築家でもあったレオナルドの画期的な一大展示が、国立博物館の全スペースを使って行われたことがありました。機械に関しては、彼が残したドローイング約百点が木製の実物として展示され、直接に手で触ることができました。私は毎日触りに行きました。「万能の物理学者にして 機械発明家」として生きたいという私の希求はそのときに固まり、以後変わることはありませんでした。

 大学時代によく読んだのは、ガリレオの数ある著書と伝記です、力学というまったく新しいものをつくり上げてゆく論理、それに反対する人の論理、危険を感じそれを押しつぷす人々のやり方とそれに反抗するガリレオの気骨からはどれだけ学んだかわかりません。

2. 私が南部に魅かれた理由

 研究生活を始めた1960年代、一番興奮して読んだのは、当時進行していた素粒子論革命に関する解説論文です。同じとき私ば「化学プロセスエ学」をゼロから手探りでつくり上げる最中だったので余計熱が入ったのかもしれません。1950年代の素粒子論は中間子理論、三段階理論、くり込み理論、坂田モデルがほとんどすべてであり、著者たちの卓抜な解説とあいまって理解しやすいものでした。ところが、1960年代は新粒子の発見と新理論の発表が打ち続く素粒子論革命の時代でした。基本理論とされたものがつぎつぎとひっくり返されていく時代でした。ちょうど期を 一にして起こった大学革命の嵐とも重なって、何がなんだかわからなくなる時代でした。

 このとき、少し動きが落着くのを待って出版されたのが 『量子物理学の展望』です。湯川、朝永、西島らのカ作31篇を集めた解説論文集ですが、その中でトーンがまったく違っていて読む者を引きつける一篇がありました。南部陽一郎による「素粒子物理学の展望」です。何が違っていたかというと、当時絶対権威であった坂田モデルとまったく違うクォークモデルが、何の留保条件もなしに当然のこととして記述され、新聞記事でしか知らなかったワインパーグ=サラム(Weinberg=Salam ) 理論 (以下W S 理論)やヒッグス( Higgs )理論までが解説されていたのです。さらに W S 理替が受け入れられる理由として、トホーフト(G.'t Hooft)の「弱い相互作用くり込み可能性の証明」が引用してありました。これは素粒論の最難関の数学的課題であったのにオランダの大学院学生である 't Hooftがやってしまったというので、1年前に新聞をにぎわしたものですが、あまりにも難しくて誰もその解説記事を書けない代物でした。

 つまり南部の解説は,触れぱ手が切れそうな感じを与えるシャープなもので.ほかの人の展望とは目の高さも鋭さもまったく違っていました。私はこのときから南部の追っかけになりました。その後、何人かの米国の物理学者に聴くと、異口同音に「南部はほかの人より5年先駆けた仕事 をする。 だから自分たちはいま Nambu が何をやっているかに注目するのだ」という答えが返ってきました。さらに素粒子の標準モデルの骨格の重要部分はすぺて南部に負っているとの評価も一般的でした。具体的には W S 理論、Higgs 理論, 超弦理論のどれも南部の研究に端を発しているという評価が一般的でした。そして1980年代の前半に南部がノーベル賞を受賞することは確実という雰囲気でした。南部が世界の素粒子論理論家の中で、五指の内に入る評価を得ているとみて間違いありません。

3. 湯川の「偉さ」、南部の「すこさ」

 素粒子論理論家の中には坂田昌一、ゲルマン( M.GellMann )、小林誠、溢川敏英のように モデルを提唱する人と、ワインパーグ( S.Weinberg )、サラム( A.Salam )、't Hooftのように理論的基礎をつくる人がいますが、南部は後者です。両者の違いは数学力で、モデルづくりにはあまり数学を必要としませんが、素粒子論の基礎理論には「すごい」としか言いようがない数学力を必要とします。

 最近私は、「どこがすごいか南部陽一郎」という論考(原子力文化2008年11月号)を書きました。 そこで私は「湯川の偉さ、南部のすごさ」と書きました。そして偉さは誰にでもわかるが、普通の人にはすごさはわからないと書きました。湯川の本当の偉さは精神性の高さにあるが、人は中間子とかノーべル賞とか目に見えるものを通じて偉さをわかった気になるこれに対し、人はすごさをわかることはできない。すごさは実力だが、実力については、人は自分の実力以上のものを評価できないからだと書きました。ここで私が南部のすごい実力とよぷものは単なる数学計算能カではありません。世界の俊秀が、しのぎを削って立ち向かってできない間題が計算力で解決できるわけがありません。まったく人の思いつかなかった切り口に気づいて.道を切拓いてゆく独創力です。

 本論考では, 南部陽一郎の仕事の仕方、 生き方に密着して、南部陽一郎の独創性の秘密を学ぴたいと思います。研究者が独創性の秘密を学ぷのにこれが一番よい方法と思うからです。それを私に教えてくれたのは S.S. Schweber のQED amd the men who made it という本でした。この本は科学史と伝記を同時平行的に合わせたような本で、たとえぱファインマン( R.P. Feynman )については、 彼が Feynman Diagram を恩いつくに至るまでのメモや小論文を経時的に詳細に並べて、創造の過程を追体験できるようになっています。と同時に父母にあてた手紙などから、人 間関係とその心理、特に先生や指導者との関係とその対処の仕方がわかるようになっています。

 南部の仕事についてこれを行うには、彼の仕事の内容を追体験できる科学文献と人問関係や決断の本当のところを語ったくわしい個人史が必要です。本格的に南部の独創性から何か学ぴとりたい人は、この二つと向き合い、時間をかけて学ぴ取る必要があります。この論考はその努力を始める手引きとなることを目指しています。この論考を読む人は、科学文献と個人史を座右に置いて読んでもらいたいと思います。

4.資料:南部の個人史と科学文献

 南部の場合、個人史は非常によい資料が容易に入手できます。南部が米国物理学会のインタビューに答えたもので、幼児の家庭環境にはじまり、東京大学時代、大阪市立大学時代、プリンストン高等研究所、シカゴ大学と時間を追いながら、そのときの仕事と人間関係を丸一日かけて精密、誠実に語った膨大なものです。南部がなぜ日本国籍を捨て米国市民になったか、言いにくいことを含めて素直に語られています。これはインターネットで全文見られます
(www.aip.org/history/ohilist/30538.html)。この論考では、インタビューの内容を紹介はしますが、直接の引用はしませんので、読者はこれをダウンロードし、脇に置いて本論文を読んで下さい。

 一方、科学文献のほうは難しい間題があります。南部の原論文自体は専門家向けのものですから役に立ちません。一方、南部の著書「クォーク」もわれわれの目的には適していません。これは一般人向けに書いたもので、説明は言葉によるだけで、数式による表現が皆無だからです。素粒子論でもモデル論ならこれでもよいのでしょうが、基礎理論は言葉だけではまったく表現不可能だからです。それにもう一つ不適当な理由は、南部が置かれた困難さとそれを乗り越える独創を評価するには、少し離れた全体の位置からそれを見る必要があります。つまり素粒子論の基礎理論の全体を見渡せる教科書を手許に置く必要があります。場の量子論の適当な教科書は日本語では少ないのですが英語では多数出ています。全領域をパランスよくカパーし、正確でしかも読みやすいものとなると私はM.Kakuの「Quantum Field Theory」をお薦めします (以下引用する際は Kaku○章とします)。 ただしこの本は物理学科の大学院の本格的教科書ですから、素人がいきなり取りつくのは無理です。そのときは南部の「クォーク」を手引きとするのがよいと思います ( 以下引用する際は 南部○章 )。

※以下では,Kaku と南部 の著書を傍らに置きながら、素粒子論を展望します。 Kaku の著書との対応上、人名や粒子名、重要用語はあえて原語表記にします。

PartII 現代素粒子論への南部の貢献

I. 素粒子論の標準モデルとは

 いまでも理系非専門家が通常抱いている素粒子群像は次の5個の素粒子からなっています。proton (p+). neutron(n), electron (e-), neutrino (νe), Yukawa mesonです。

 ここでneutrino (νe ) は、Fermiがβ崩壌で放出されると予想した質量のない粒子( n → p+ + e- + νe )です。mesonは核力を荷う粒子として湯川が理論的に予測した粒子(中間子)ですが、実康に見つかった中間子は pion(π0,π+,π--)で、Yukawa mesonとは一致しません。

 これに対し、1960年以後の素粒子論革命を経て確立されたのが標準モデルで、それはつぎのように記述できます。
  1. 標準モデルでは素粒子を lepton(軽粒子), meson(中間粒子), baryon(重粒子), quark (クォーク)の4種に分類します。基本粒子はleptonとquarkの2種で、meson, baryonはすべて複合粒子とみなします。
  2. leptonは,はじめ electron (e-)とneutrino (νe ) だけでした、その後、νeと電荷が同じで質量の大きいνμ、e-と電荷が同じで質量が大きいμが発見され第2世代と分類されました。同様に第3世代は ντと τ です。
  3. quarkは実験的には 単離確認はされていませんが、理論的に存在が確信されている粒子です。はじめup quark( u )とdown quark ( d )の2種でしたが、新粒子の発見に合わせ、uと電荷が同じで質量が大きい charm quark ( c ), dと,電荷が同じで質量が大きいstrange quark( s )が導入され、第二世代と分類されました。同時にtop quark( t )とbottom quark( b )が導入され、第3世代と分類されました(表1,2)。小林、益川の業績は、第3世代の存在の予言でした。
  4. 標準モデルではbaryonは三つのquarkの複合体です。各バリオンの構成は表3に示しました。
  5. 標準モデルでは, mesonは1個のquarkと1個のanti-quark からなる複合粒子です。pion(π+)は u-quarkとd-quark からなる複合体です(表4)。

II. 場の量子論とは何か

 物理学を学ぶとき、どこに壁があるのか、どこまでが初等科で、どこから高等科かと問うと、常識的な答えは「古典物理と量子力学の間」ということです。でもこれは応用化学の学生に量子力学を教えてきた私の実感とは合いません。化学の学生にとって波動関数は、コリオリ力に比べれば難しい話ではありません。本当の壁は量子力学の先にあります。「場の量子論」の壁です。私はこの壁を越えて先に進んだ学生をほとんど知りません。これは何に役立つか わからないというのが、最大の原因でしょうが、「場の量子論」という言葉からは何もイメージできず、知的興味も喚起しないことも加わっていると思います。でも南部の仕事ぶりから何か学ぼうとする人は、まずこの門から入らねばなりません。

( 1 ) 場の量子論 目的と方法


場の量子論の目的は、Schroedingerの波動方程式による量子化の弱点を克服して多体系を正しく量子化することです。
Schroedinger方式の弱点は,
@ 一粒子波動関数であること
A 相対論的でないこと
です。Schroedinger理論でN個の粒子を扱うときの波動関数は,
  波動関数  pdf参照
とN個の粒子座標空間 ( x1xN )の関数であって、現実の3次元空間の波ではありません。
多電子原子の問題はこれで十分解決できますが、光による電子の励起のように電子とphotonの相互作用の取扱いには別の取扱いが必要です。

 その方法は「第2量子化」です。粒子の運動方程式からSchroedinger方程式を導き、それを解いて、波動関数の場ψ(x)を得るのが第1量子化ですが、場は無限個の粒子素と考えて、それにもう一度量子化操作を行うのが第2量子化です。すると連続的な場が量子化され、離散的な波動あるいは粒子があらわれます。理論による粒子の発見です.

( 2 ) 場の量子論 輝かしい成功例

これに初めて成功したのがDiracです。彼は相対論的な自由電子の波動方程式がつぎのようになることを見いだしました。
  相対論的な電子のHamilton形 運動方程式 pdf参照
ただしψ(x)は4成分の波動関数、αは3成分ベクトル、βは4行4行の行列です。これを量子化することにより電子はスピンをもち、その量子数は±1/2であることを示しました。

場の量子論のつぎの輝かしい成功例は,湯川の中間子予見です。その方法はつぎのようでした。
 まず真空中の電磁場は,光速で進む波であることからポテンシャルφは,
  電磁波が満たす波動方程式   pdf参照
を満たすことを確認します。長距離力である電気的引力を表すクーロンポテンシャルφ∝1/rが加わってもこの形は変わりません。これに対し, 核力は短距離カなのでポテンシャルとしてe-k r/rを仮定するとこれは 次式
  湯川核力が満たす波動方程式   pdf参照
を満たします。1/κは長さの次元をもち、核力の有効距離です。場を表す(2)式を量子論的対応関係で表現し直すと、
  湯川粒子が満たす相対論的運動方程式  pdf参照
となります。これは質量 mu=κh/cの粒子の相対論的運動方程式とみなせます。核の大きさからκ=5x1O12cm-1
とするとmuは電子質量 meの200倍となります。つまりこのような粒子の存在が予見されたことになります。

III. くり込み (renormalization) とは何か

 湯川は「中間子」で、朝永は「くり込み」でノーベル賞をとったといわれます。湯川の仕事は数行の数式で示すことができ、 物理としてわかるのに対し、「くり込み」は言葉では平易なのに物理的意味は非常につかみにくいものです。 1949年、朝永が『自然』に書いた「無限大の困難をめぐって」が最高の解説といわれますが、背景解説は十分なのに肝心な点の強調はありません 。湯川の中間子ほどには 朝永はくり込みに自信をもっていなかったことが原因と思います。現代素粒子論の基礎理論として最重要なはずの ' tHooftのくり込み可能性の証明 についてもまともな関心も解説もないのは、くり込みに対し、正しい評価がなされていないためと思われます。

 「くり込み」を理解し評価してもらうには、「くり込み」の二つの面をはっきり分けて認識してもらわねばなりません。 一つは「くり込み」の具体的な計算法であり、 一つは「くり込み可能性」の理論的証明です。 このうち計算方法は、基本はたった1行の式で示せる簡単なものですが、 少しごまかしともみえるもので、物理屋さんは片目をつぶるでしょうが、学校の先生なら絶対に受け付けないでしょう。一方,「くり込み可能性」の証明は「くり込み計算」が許されるスキームの発見ということで、これは関連物理法則全体の完全理解と超人的数学力を必要とします。このうちもちろん後者が大事なのですが、 わかりやすいのは前者ですから、そちらから説明しましょう。

(1) 「くり込み計算」の方法 「くり込み計算可能」な理論式ができたあと、計算は煩雑であるが単純な力仕事です。ただ一つの困難は、多数の項の一つに発散する積分があらわれることです。 場の理論のうち電子とphotonの相互作用を問題にするQED(quantum e1ectro dynamics)ではつぎの積分△があらわれます。
B= m (3 e2 / 2π) ( 1 / k ) dk  pdf 参照
ここで k は波数で、発散は、 原点( r = 0, k → ∞ )まで積分しようとするときに起こります。この発散の困難を避けて計算を進める方法はいくつもありますが、朝永が考えた「くり込み」の方法は、結果だけを簡単にいえば、B= 0と置いてしまうことです。 その理屈としては、エネ ルギーを求める最終結果の中でBはいつも電子の質量mと和の形(m十B)であらわれることに注意します。そしてmは電子の裸の質量、m十B はphotonと交渉して実際にあらわれる質量だと解釈します。つまり、実験的に報告されている電子質量をmeとすると、
m 十 B = me
とします。これが朝永のいう くり込み です。

(2) 「くり込み可能」なスキームの発見   朝永は電子とphotonの交渉を対象にして「場の量子論」を研究し、「くり込み」に気づくことによって世界で初めてQEDを完成させ、ノーベル賞を得ましたが、最初の目的はQEDではなく、中間子を対象にした「場の量子論」でした。場の量子論に摂動計算を適用して近似を高めようとすると必ず発散する積分があらわれて解決不能というのが当時の素粒子論の最大の課題でした。湯川の非局在場、坂田のC中間子など、解決が模索されましたが、朝永は当時の場の量子論基礎式が相対性原理を満たしていないことに原因があるのではと考えて、相対律的な定式化を目指し、世界で初めて成功しました。1943年、戦争の真最中のことで、理研彙報に日本語で発表されました。

 この仕事は単に相対論を満たす定式化というだけでなく、積分が発散する原因を三つに分けて、それぞれを式の上で分離したことに大きな意味があります。 朝永自身が原論文の結論で述べている表現を引用します。

 「これまでの定式は ある時刻に成立する運動法則と異なる時問の関連を与える力学法則の2段構えではあったが、この理論はやはり2段構えではあっても段を分離する境界面を他の所に持って来た。それは場が一つ一つ相互作用なしに存在するとみなした時の真空方程式と、場の相互作用である。 どちらも相対律的な不変性をもっている」。

 この分離の結果, 発散積分Bが ( m + B )という形でだけ結果に入ることがわかったのです。くり込み可能性の証明とはどんなことかは言葉で説明することは不可能ですが、その感じをたとえるならば 因数分解です。関数 f (x) =1/(1一x2 ) は x=1で発散しますが 発散の原因は 1/(1- x2 ) = [1/(1+x)][1/(1一x)] と因数分解すればわかります。「くり込み可能」の証明とは複雑な式が「因数分解可能」であることの証明に似ています。

IV なぜ南部が 現代素粒子論の 父なのか

 I に示した素粒子の標準モデルは, 表面的には素粒子の分類表ですが、これは定性的あるいは半定量的な議論をもとに一つの考えとして出されたものではありません。この50〜60年間、世界中の鬼才が競って築き上げた素粒子研究は、強い力を対象にするQCD(quantum chromodynamics)と弱い力を対象にするWS理論にまとめ上げられていますが、標準モデルはそれぞれ厳しい検討を経たQCDとWS理論の緒果をまとめたものです。

 WS理論は1967年発表,1979年ノーベル賞と驚くほど短期間で素粒子論の核心としての地位を獲得しましたが、それはこの理論によってその存在と質量が予測された3個のゲージボソン [W, W- , Z0 ] が 間もなく実験的に確認されたからです。湯川による中間子の予見に相当する画期的な仕事と評価されています。ゲージボソン(gauge boson)は電磁場を量子化して得られたphoton(表記はγ)を一般化した概念で 電荷0、スピン1の粒子のことです。 しかしW± WZ0 が発見されるまでは、gauge bosonはγしかありませんでした。これらがγと違う点はγは質量がゼロなのに対し、これら3種は質量をもっていることです。
WS理論は電磁場と弱い力の場を統一した理論といわれますが、それは電磁場を荷うγと弱い力の場を荷うW+、W-、Zの4個の粒子を一つのゲージ場の四つの成分として統一できたからです。そのときの一番の困難は、γは光速で走る電磁波なので質量はゼロであるのに、弱い力の場を荷うW+ W- Zには、弱い力の到達距離から考えて、質量を与えねばならなかったことです。光と同様なboson粒子が質量をもちうるとしてその機構を具体的に示したのがHiggs理論です。その説明は多くの予備知識と数学を必要としますのでKakuの著書を読んでいただくことにして結論だけを紹介します。

    1. 対称性の破れがあるとその数だけ質量のないNambu-Goldstone bosonが発生する。
    2. このNambu-Goldstone bosonはYang-Mi1s場の質量ゼロのgauge bosonに食われてそれに質量を与える。
 このHiggs機構は、これが超伝導のBCS(Bardeen-Cooper-Schrieffer)機構のアナロジーであることに気づくと、理解が容易になります.。超伝導はfermionである2個の電子(スピン反対)がCooper pairをつくってbosonになると、 互いの干渉がなくなるため起こる現象です。 本来なら反発する電子がpairをつくるのはphononを介した力が引力として働くからです。したがってこのpairを壊すのにはエネルギーが必要です。それをE0とすると、pairが壊れてあらわれた電子にはE0/2ずつのエネルギーが与えられたことになります。相対論によるとこの分だけ質量が増えるはずです。これは実験的にも確認されていることです。

 Higgs機構でいうNambu-Go1dston bosonとは、このCooper pair bosonに相当するものです.。質量が増える電子に相当するのがWS理論のgauge bosonであるW+、W-、Z0です。そして超伝導の場に相当するものとしてHiggs場が考えられ、それを荷う粒子としてHiggs粒子が予見されています。これはいまや標準モデルのうち実験的に確認されていない唯一の粒子です。Higgs粒子の確認こそ、素粒子物理学最大の関心事です。
Higgs理論の核心は
    1. 超伝導とのアナロジー
    2. Cooper pair bosonに相当するものとしてのNambu-Go1dstone boson
    3. これを作る機構として対称性の破れ
の3点にあります。ところがこの3点はHiggsのオリジナルではありません。Higgsが論文発表した4年も前に南部がG. Jona-Lsinioと共著でPhys. Rev誌に発表した論文"Dynamica1 model of elementary particles based on an analogy with superconductivity I"(NJL論文)の核心をなす3点なのです。

 まず素粒子論研究者の中で場の量子論とは一見無関係な超伝導のBCS論文に着目し、それが素粒子論にもつ深い意味を読み取ったのは南部だけでした。 Nambu-Go1dstone bosonとよばれるものも、NJL論文で、π中間子に質量を与える手段として考えたものですが、1年後Goldstoneがそれを組織的に論じたためこうよようになったのです。また、これを質量ゼロのbosonにしてしまう具体的仕組みとして対称性の自然破綻を思いついたのも南部です。

 このように考えてくると、現在の標準モデルのオリジン(源流)は南部であることがわかります。それもタッチの差で早かったのではなく約2年は早いのです。南部の仕事は独創的過ぎて、周囲はついていけないのです。このようなすごい独創性がどうして生まれたか、その秘密を次回ではくわしく探ってみることにしましょう。
 
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